小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

20-1 坂の上の雲① (1969-)

【あらすじ】

 明治維新を成し遂げ、近代国家に生まれ変わろうとしていた小さな国日本。その中で旧伊予国松山に生まれた3人の若者も、その昂揚感を感じながらそれぞれの青春を送っていた。

 

 秋山好古は自らお金を稼いで、家族と生まれてくる弟を育てる糧としつつ、自分が勉強をすることで新国家における自分の居場所を探していた。師範学校に入り教師の職を得るも、その後「ただの学校がある」という話を聞いて、陸軍士官学校に入校し、日本陸軍の騎兵科を育てる役割を担う。

 

 好古が両親を説得して産まれた弟の秋山真之は、同郷の正岡子規と一緒に上京して、立身出世を目指す。まずは大学予備門に入るが、地道な努力を重ねて、物事を熟考して学説を作り上げる学者には「要領が良すぎて」自分には向いていないと悟る。兄に学費を頼ることにも抵抗があり、これからの分野でまだ活躍する余地があると思われた、海軍に入り身を立てようと決意して正岡子規と別れを告げる。

 

 真之と大学予備門まで共に歩んだ正岡子規は、真之と同様立身出世を目指し大学予備門から東京帝大に入学するが、周りの秀才たちを見渡して、自分の学力が劣ることを痛感する。文学にのめり込んで遂には中退して、陸羯南が経営する新聞「日本」に入社する。文芸欄を担当して短歌や俳句にのめり込み、自ら雑誌「ホトトギス」を主宰して、日本における短歌や俳句を大胆に再評価して、分断の革新を図る。

 

  秋山好古ウィキペディアより)

 

 3人がそれぞれ自分の居場所を持つに至ると共に、日本も列強国に囲まれながら様々な判断に迫られる。「眠れる獅子」と呼ばれた清国は、東学党の乱で混迷を深める李氏朝鮮に介入を企てる。清国の朝鮮半島進出は日本への脅威に繋がるため、日本も派兵を決断して、ついに近代国家として初めての戦争である日清戦争に突入する。

 

 陸軍は高い戦意と訓練された戦術で進撃を続け、海軍は練度の高い操艦技術で機動力を使い、世界最大級の戦艦を持つ清国艦隊を翻弄する。その中で好古と真之は陸軍と海軍でそれぞれの役割を果たし、子規も従軍記者として戦場に赴くが、そこで結核を悪化させてしまう。

 

 日清戦争には勝利したが、その後ロシアが極東に膨張政策を広げ、瀕死の状態の清国の、遼東半島満州に進出して日本を圧迫する。時間が経てば経つほど極東における勢威は、ロシア進出が増してくばかりであり、日本は今のうちとの思いから対ロ戦争の準備を始める。

 

 好古はコサック騎兵の研究に没頭し、真之はアメリカに渡り、当時海軍戦術の世界的権威だったマハンから学び、新たな海軍戦術を自らの手で構築しようとしていた。そんな中、子規は文学史に大きな足跡を残し、短い生涯を終える。

   秋山真之ウィキペディアより)

 

【感想】

 「まことに小さな国が、開花期をむかえようとしている」という、とても印象的な言葉で始まる長い物語。日露戦争を描くことが主題の物語に、高い身分ではないが、陸軍と海軍でそれぞれ重要な役割を担った兄弟と、その同級生を主人公に選んだ。それぞれが青春の中で、あっちにぶつかりこっちにぶつかりながらも成長していく姿を、開明期の日本を舞台として書き始めている。

 2人に比べて年長の秋山好古は、子供の時に明治維新となり、親が「何もしない」中、給料を稼いで勉強をすることを第一義として働いていく。学費のいらない師範学校に入り、さらに陸軍士官学校に入校する。士族だがおとなしく、とても勇猛果敢とは思えない好古が、運命の悪戯で陸軍兵士になる展開が面白く、かつ切ない。金銭的にも恵まれず、また維新に乗り遅れた松山藩の立場からも選択肢は限られた中で、世襲ではなく自力で運命を切り開いていかなければならない。それも新しい明治という国家の一風景。

 好古からやや年をおいて、明治維新の時に生まれた真之。本来ならばこの世に生を受けることのない運命だったが、兄好古が「豆腐ほどのお金をこさえるから」と両親を説得して産まれた人物。そのため腕白で大人になっても跳ねっ返りの性格だったが、兄好古だけには頭が上がらない。先頭になって「悪さ」を行なう悪ガキだったが、頭脳は抜けるように優れ、上京して大学予備門に入学してからは、試験問題を的中される「試験の神様」の異名を取った。

 その「要領の良さ」から自分は学者の道には向かないと判断して、進路を海軍に大きく舵を切る。海軍兵学校に入校しても1番の成績で通し、海軍戦術を独自に研究して、若くして海軍大学校の戦術教官にも就任する。海軍内では右に出る者がないほど、戦術にのめり込んだ。

 正岡子規は真之と別れた後帝国大学に入学するが、限界を感じて当時は二流と思われた文芸の道を選ぶ。そして当時は死に至る病であった結核にもかかり、短い余生を図りながら、強引ながらも短歌や俳句で日本文壇上で革命を起こし、名を残そうとする。

 

   正岡子規ウィキペディアより)

 

 学生時代は真之や子規は仲間たちとバカをやって、未だ方向性が見えない中、青春のエネルギーを発散させていく。そしてそれぞれが、「他の可能性を自ら閉ざして」進路を決断し大人になる覚悟を決めていく。その選択が正解かどうかはわからないが、疑うことをしないで生涯の職業としていき、それは当時の日本の進路を定める過程と重なっていく。

 私がこの物語を読んだのは高校時代。その時は「大人になる」というのがどういうものか、自らの可能性を1つ1つ閉ざすことなのかと、深く考えさせられた。そしてその「覚悟」が定まらないまま、現在に至っている。

 対してこの物語において覚悟を定めた登場人物たちは、この後迎える未曾有の戦争において、自らの役割を果たしていく。