小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

20 汚名(「本多正純の悲劇」改題) 杉本 苑子(l992)

【あらすじ】

 旗本の堀伊賀守利重は、本多正純との政争に敗れた大久保忠隣の影響で、宇都宮藩奥平家に蟄居の身となる。間もなく本多正純が宇都宮藩に転封になると、奥平家は煽りを食って格下の古河藩に移封と決まった。藩主の祖母の加納御前は、家康と築山殿の間に生まれた長女(亀姫)で、将軍秀忠の姉の立場もあって、本多正純に我慢がならない。そこで本多家を追い落とすために、堀利重は家臣の越ヶ谷謙作を台所の下働き、加納御前は野本清十郎を出入り商人と、それぞれ間諜として宇都宮城に潜り込ませた。

 

 越ヶ谷謙作は城内で下働きをする人々と親しくなるが、彼らはみな本多正純を敬愛していた。三河の時代から仕える家臣、鈴木久兵衛からも、本多家を風評の裏側を聞く。謙作の目にも次第に、酷薄そうな正純の印象が、冷たいが澄みきったものに変わっていく。

 

 対して加納御前から送り込まれた間諜、野本清十郎は計略を巡らす。謙作は本来野本と歩調を合わせなければならないが、そんな気持ちにはなれないでいた。本多正純は将軍秀忠を東照宮参詣の途中を出迎えるために、宇都宮城の大規模な改修工事を進めている。野本はその工事を、将軍を圧死させる「釣り天井」との謀略と企てるが、どこにもそんな証拠はない。

 

 秀忠は宇都宮城に宿泊し、本多正純から心尽くしの接待を受けて、無事日光へと向った。すると謙作は野本から、堀のもとに帰る命を受ける。戻ると主君の堀利重は、奥平家の厚遇に甘えて腰元を愛人にし、蟄居中の身とは思えない贅沢な暮しをしていた。自らを律する本多正純を知る謙作は、自らの主君への心が離れていく。一方野本は、自らの謀略が敗れたことを知って江戸へ逃れていた。

 

  

*「どうする家康」で本多正純を演じた井上祐貴。わずかな出演でしたが、正純らしさを漂わせていました(NHK)

 

 そんなある日、本多正純と嫡男正勝が失脚し、改易されたと知らせが古河藩に伝わる。理由は本多家が将軍に反逆を企んだと、謙作にとっては事実と思えない噂話ばかり。奥平家は加納御前念願の宇都宮城に、余録を受けて返り咲くことが決まる。堀利重も蟄居を解かれ1万石を拝領、幼い奥平家の当主を後見する役を命じられる。

 

 念願が叶い、周囲は喜びに浮き立っていたか、謙作はそんな輪に加われない。なぜ自らを厳しく律して将軍家に忠義を尽くした本多正純が、処分を受けなければならないのか。自ら間諜として働いた悔いとともに、本多家を陥れた謀略への怒りと無念、城内の人々への思いが交錯する。

 

 奥平家に従って宇都宮へ向かう日、謙作は主君堀利重との別れを決意し本多正純の配流先である出羽の秋田へ旅立ち、正純の近くで生きることを決意した。

 

 

【感想】

 以前、秋田県横手市に行く機会があり、車を走らせていると、本多正純の墓碑を記す案内板を見かけた。正純が配流されたのはここかと気づき、横手公園の南側にある丘を登って墓に辿り着いた。一時は権勢を振るった本多正純の晩年を思い、ささやかな墓を見ながら感慨にふけったことを思い出す。

 

 越ヶ谷謙作は大久保家の衰退に伴い蟄居となった堀家に仕えるも、感情の起伏が激しい主君に仕えるのに息が詰まり、本多正純の間諜という役目を、喜々として受け入れる。すると周囲の話や正純自身の言動を接するにつれて、次第に正純に引きつけられていく。智謀優れ権勢を振るいながらも清廉な生き方を貫き、必要以上に自分を律する姿勢は、家臣だけでなく下人たちにも浸透し心服させている。

 

  

*「どうする家康」で當真あみが演じた亀姫(加納御前)は、 (格下の) 奥平信昌に嫁ぐ健気な役割でしたが、46年後の「宇都宮釣り天井事件」では、黒幕と言われました(NHK)

 

 本多親子に対する誹謗中傷の原因も、多くは家康の意向に沿ったもの。天下の静謐を達成するために、家康存命中に波乱の芽を摘まなくてはならない、使命感から来るものだった。関ヶ原の戦いも、大久保長安一族を滅亡に追いやったことも、忠臣大久保忠隣を改易に追いやったことも、そして大坂の陣も。実弟本多政重に対しても、筋が通らないことは断じて許さず、対して下の者にはいたわりを忘れない姿勢は、自らの主君と比して尊敬に値する人物に映る。

 「絶対に、3万石を超えてはならぬ」と父本多正信が言い残した言葉を守れず、二代将軍秀忠の強い要望で、宇都宮15万石を拝領した正純。しかし家康が死去すると正純の居場所はなくなり、加増を理由に江戸から遠ざけられてしまう。そして秀忠とその側近から見ると、正純の存在は天下の不満分子を糾合して、天下を簒奪する存在感を与えていた。

 「狡兎死して走狗烹らる(獲物のウサギが捕まって死ねば、不要となった猟犬は煮て食われる)」。最終章の1つ前の章題は「史記」に由来する。古代中国から、鎌倉、室町、織田、豊臣と武家政権が確立すると繰り返され、正純も当然承知のはず。宇都宮藩から出羽5万石への移封に対して、全てを断って自ら罪人と扱ったのはその表われ。

 そんな正純を杉本苑子は、正純に対立する側の間諜を主人公とする凝った設定で描き、正純本人はわからないまま、その間諜が正純に徐々に心服していく様子を描くことで「屈折した自己犠牲の爽やかさ厳しさに、せめて小さな光をあたえたくて」(あとがきより)「汚名」というタイトルを冠して描いた。杉本苑子が最後に解き明かした「権現様」が正純に巡らした仕掛けも、正純は理解していたのだろう。

 

*戦国時代を舞台とした紹介のスタートに、取り上げました。

 

 将軍足利義教の首が落ちた時を境に、室町幕府は日本を統治する力を失う。応仁の乱を経て、乱世の火は瞬く間に地方へと広がった。小豪族が小競り合いを重ねながら主君を踏み台にして「地方予選」を勝ち抜き、全国大会に出場して雌雄を決する。

 そこでは信長が、秀吉が、「天下布武」の名の下に、敵対勢力を時に配下とし、時に滅ぼす。最後に家康が、あらゆる手を使って豊臣家を滅亡させ、乱世を収束させる役目を果たした。その傍らで覇業を助けた「稀代の参謀」本多正純は配流から13年、天下静謐に至らしめた裏側を、語らぬまま墓に持ち込むことで、自らの役割を全うした

 

 京で点火され200年燃え続いた乱世の炎は、出羽国横手の地で、消えた

 

   *歴史の裏側を語らないまま眠った本多正純の墓(じゃらんネット)

 

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