小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

3 豊臣秀長 ある補佐役の生涯 堺屋 太一(1985)

【あらすじ】

 20歳過ぎまで農民として母と妹を養い、隣村の道普請に行って日当を貰うことに喜びを感じて暮らしていた小竹。そこに10年ほど前に「武土になる」と言って家を出奔した兄の藤吉郎が久しぶりに家に戻る。織田家中で組頭まで出世し、今度弓組頭の娘、ねねを嫁に貰うことになり、弟の小竹も祝言に立ち会って欲しいとの話だった。

 

 道中で話を聞くと、馬は借り物でまだ騎乗の士にはなれず、組頭の役も結婚してからの話だという。藤吉郎の家に着くと,そこは農家の自宅よりも狭く小汚い所。藤吉郎は家来になるようにと誘うが、小竹は戦が嫌いで槍も使えず、その上兄の話は胡散臭く信用できない。とは言え縁薄いが唯一の兄の頼みでもあり、正式に組頭になったら考えてもいいと答える。間もなく藤吉郎は、正式に組頭となった。

 

 織田家の仕え方は武力ではなく、「1に忠勤、2に目利き、3に耳聡」との藤吉郎の説明を聞いて、小竹は奉公を決意する。藤吉郎は家を空けることが多く、小竹改め小一郎は、残された家臣たちの面倒を見る。戦場に出たことがない小一郎を「傭兵」たちは軽く見るが、喧嘩の仲裁に名誉と金銭を与えてお互いに顔が立つように周旋する。罰金を定めるが、得た利益は家臣が病気や困った時に分け与える。そうすると小一郎は信用されて、家臣団は結束していった。

 

   藤吉郎は織田信長に仕え、信長の無理難題を何とかこなそうとして知恵を絞る。城で薪の使用量が激しいとなると、節約に努めて経費を半減させる。城の石垣が崩れ、信長から半月で修理しろ、との理不尽な命令に対しても、石工たちを競争させてわずか8日でやり遂げる。しかしその後に起きる藤吉郎への不満ややっかみの尻拭いをするのは、弟小一郎の役割だった。

 

  豊臣秀長ウィキペディアより)

 

 藤吉郎はその後も墨俣で一夜城を築き、また美濃の高名な軍師竹中半兵衛を引き入れ美濃攻略の足掛かりを作り、武将としても認められていく。そして織田信長が浅井朝倉勢を滅亡させ、藤吉郎改め羽柴秀吉が北近江を支配する12万石の大名となると、小一郎は同じく秀長と名を替えて、1万2千石の領地を与えられる。しかし浅井家の旧家臣を数多く採用して、領地の慰撫をするよう、秀吉から求められた。その役割も実直に行ない、そこから藤堂高虎を始め、後の豊臣政権を支える数多くの武将が育っていく。

 

 秀吉が中国攻めの司令官となると、秀長は但馬国平定を命じられ、わずか3,000の兵ながらも手堅く平定に成功する。賎ケ岳の戦いでは、秀吉が留守中に相手の中入りを許し多大な被害を受けるが、汚名を気にすることなく反撃を控え、秀吉の帰陣を待つことで勝利に繋げた。四国攻めでは総大将を務め、九州攻めでも初戦で大敗の後秀長を大将として戦い、調略を交えて島津の強兵を降伏させる。

 

 秀吉治世下では宗教の支配が強い難国の大和や紀州を問題なく治め、秀吉に睨まれた武将たちは、秀長に助けを求めた人格者。「補佐」に徹した一生は、秀吉よりも先に52歳で病死により閉じることになる。

 

 *大河ドラマ「秀吉」で弟の秀長を演じた、実生活でも弟の髙嶋政伸。「太平記」でも主人公尊氏の弟の足利直義を演じました。左はおね役の沢口靖子NHK)

 

【感想】

 通産省出身で大阪人でもある堺屋太一。戦後日本が東京中心になるのを見て「二眼レフ構想」を提唱して大阪の復権を願い、大阪万博の開催に尽カする。通産省を退官後「油断!」で衝撃的デビューを飾り、その後も「団塊の世代」や「知価革命」など時代の先を読んだ作品を生み出し続けた。そして大阪維新の会の理論的主柱とも言える存在を示して、因縁の深い第二の大阪万博の道筋をつけた。

 そんな堺屋太一が手掛けた歴史小説は、当時は偉大な兄に隠れていた「補佐役」豊臣秀長を主人公にあてた。源頼朝義経足利尊氏と直義など、兄弟での争いは枚挙にいとまがない。この時代で目立ったところだけでも、織田信長が、伊達政宗が、そして後に徳川家光が弟を殺害している。

 そんな中秀長は、最後まで兄秀吉を支え尽くす生涯を送った。しかも無能ならばまだしも、問題を起こさずに、与えられた課題は堅実にこなす、得難い資質を有していた。20歳過ぎまで戦場の経験がないにも関わらず、秀吉唯一の敗戦とも言える小牧長久手の戦いでは現場にいないため、実質百戦百勝

 竹中半兵衛からは「我が殿はよき弟御を持たれた」と言わしめ、山崎の戦いで敗走する明智勢を見て黒田官兵衛が追撃するように叫んでも「いや、官兵衛殿。そなた参られよ」と功を譲る秀長。兄秀吉の存在がなかったら、農民として生涯を終えていた秀長。そう考えると、人の巡りあわせの面白さと共に,人間の資質というものを考えさせられる。

 

 本作品は歴史小説とともに、当時日本で流行したビジネス論、組織論に及んでいるのが堺屋太一らしい。歴史小説のデビュー作となった「巨いなる企て」は、大企業の秘書課長レベルだった石田三成関ケ原の戦いという「ビックプロジェクト」を完遂する様子を描き、次に著した「峠の群像」では元禄時代を江戸時代の分水嶺の時代として、執筆当時の世相とも重ね合わせる作品に仕上げている。

 

 補佐役として名高いのは、ホンダの創業者、本田宗一郎を支えた藤沢武夫かそれともソニーの創業者井深大を支えた盛田昭夫か。しかし戦後の復興から高度経済成長を駆け拡げた時代、無名の「名補佐役」は数多く存在していたはず。そんな人たちにエールを逢った「プロジェクトX」のような本作品。

 天下人となった秀吉にとっては「良き弟御」がいたのは幸運であったが、秀長自身は、この立身出世を果たして本当に喜んでいたのか、疑問が残る。

 

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