小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

16 徳川秀忠 戸部 新十郎(1992)

【あらすじ】

 天下分け目の関ケ原の戦いを前に、中山道から軍勢を率いた徳川秀忠は、途中上田城真田昌幸の調略にかかり足止めを受けた。徳川勢は過去にも上田城で痛い目に会っていて、この機会に雪辱を晴らしたい者と、関ヶ原へ急ぐべきと主張する者とが対立する。軍監の本多正信に武闘派同士の争いを裁く人望はなく、軍を率いる秀忠が断を下すべきだった。しかし秀忠は、そんな議論に全く興味を示さない。

 

 結局秀忠軍は、関ケ原の戦いに間に合わない失態を犯した。秀忠は家康に面会を求めるも許されない。正信の子本多正純は、父の代わりに責任を取ると言う。秀忠側近の土井利勝は、正純に父正信の責任を追及させて、秀忠の責任を免れようとする。古強者の榊原康政は、連絡を密にしなかった家康にも責任があると追求する。秀忠の後見人の大久保忠隣は、秀忠と家康の和解を見届けてから切腹すると懇願する。

 

 どの訴えも適当にあしらった家康だが、当の秀忠は家康が会わないならばしょうがないと、周囲の喧騒はどこ吹く風。数日置いて秀忠は家康との面会を許されるが、悪びれずに戦勝についての祝賀を述べ、遅参については一言も弁明しなかった。その様子を見た本多正信は、秀忠を「大愚物」と評する。

 

 家康と正信は裏で、秀忠の軍はわざと遅参する戦略を練っていた。主決戦は、家康が率いた豊臣恩顧の武将を前面に出して豊臣家中での戦いとする。勝てば良し、仮に負けても、疲弊している西軍に秀忠の軍で止めを刺す二段構えの戦略を描いていた。但しこの作戦は、家康と正信の2人しか知らないはず。秀忠の言動を側で見てきた正信は、秀忠がこの戦略を察知しているとしか思えなかった。

 

  徳川秀忠ウィキペディアより)

 

 家康は敢えて譜代の家臣に対して自身の後継者について諮問する。後見人の大久保忠隣は当然秀忠を推すも、忠隣と対立する本多正信は、兄の結城秀康を推す。そして井伊直政は、婿で一緒に関ヶ原の先陣を切った松平忠吉を推した。家康は第1に同母の弟がいること、第2に正室織田信長の妹、お市の娘である於江という筋目もあり、秀忠が相応しいと改めて断言する。豊臣秀頼といい、徳川家光といい、お市の孫に振り回される運命を、家康は自虐する。  

 

 その後も秀忠は、家康に堂々と意見を開陳する。大名は転封を繰り返して根を張らすことを避け、二条城築城は「征夷大将軍の城」として、天下普請で行うよう進言する。豊臣家が再建する方広寺に、より多くの金を出させるように放火まで行なう一方、秀頼と千姫の婚儀を進めて硬軟織り交ぜた手腕を見せつつ、断固とした態度で豊臣家を滅亡へと導き、幕府の基盤を築く。

 

 

【感想】

 器量に優れたとされる兄秀康。手がつけられない粗暴者だが、小説として魅力的に描かれた弟の忠輝。対して、歴史小説としては脇役として「関ケ原の遅参」を筆頭に、散々な書かれようの徳川秀忠を主人公とした作品。本作品ではあらすじで書かれている通り、遅参の理由を別の角度から掘り下げた。家康と本多正信しか知られない「真の目的」を秀忠が見破り、側近たちが命がけで謝罪を行う中、全く悪びれることない「大物振り」を見せる。この人物造形は、大河ドラマ「江」で見せた徳川秀忠像と非常に近い

 

 

大河ドラマ「江」で主人公(上野樹里)の夫秀忠を演じた向井理NHK)

 

 とは言え、戦の怖さを骨身に染みている家康が、敢えて初戦で敗れても構わない戦術を取るとは到底思えない。史実では、家康は秀忠に対して遅参でなく「急な行軍で軍を疲弊させたこと」を叱責したとする説もあるが、いずれにしても、秀忠の遅参と強行軍はいただけない。

 また「遅参した」秀忠軍は思わぬ効果を生んだとしている。秀忠軍に見切りをつけて決戦を挑もうとする家康に対し、西軍は秀忠が遅参しているとは思えず、勝敗を決する機を見て軍勢をつぎ込むと想像した。そのため見えない影に怯え、背後に控える毛利の軍などを動かすことができなかったという (日露戦争でも、そんな場面があった) 。しかし毛利軍が動かなかった理由を、秀忠軍の影に怯えたするにはムリを感じる。秀忠軍の位置の情報は、西軍の情報網にも入っていたはず。

 その後も秀忠を「大人物」として描かれているが、文庫本で上下巻合わせて1,400ページを超える大長編の中で、家康だけでなく秀吉の戦国時代における挿話も唐突に挿入され、ともすれば秀忠の箇所を探すのに苦労する程。

 徳川秀忠像を違う角度から光を当てて描いた本作品だが、私には上手く伝わらなかった。そして作品自体は関ケ原を中心に描き、大坂の陣に至るまでの内容で終えているため、家康死後の話まで至らないのは残念。

 

 本作品の発刊した当時は、戦後間もなく創業した経営者から、次代に継承するタイミングとなった時代。

 中国の古典 (貞観政要)で唐の太宗が帝王の事業で、創業と守成のいずれが困難かと尋ねたところ、ある者は創業、ある者は守成と答え、太宗は創業が成った後は、守成の困難を乗り越えなければならないと誓う。この頃「創業守成」の故事が広まった記憶がある。堺屋太一の 「豊臣秀長」が補佐役として描かれたのが1985年で、本作品と合わせて企業の組織論としても使われた印象が強い。「経済大国日本」を映す作品でもあり、当時のニーズに合わせた作品だと感じた。 

 

 

 大河ドラマ真田丸」で秀忠を演じた星野源。脚本家の三谷幸喜はこのドラマのテーマの1つを「二代目」とおき、真田幸村豊臣秀頼、そして徳川秀忠が成長する姿を描きました。

 

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