小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

2 英雄にっぽん(山中鹿之介) (1971)

【あらすじ】

 京極家の守護代から、一時追放されるも独力で山陰地方を中心に巨大な版図を築いた梟雄、尼子経久。ところが経久が82歳で死亡すると、小勢力だった毛利元就が勢いを伸ばす。謀略で尼子家の内部撹乱を進め尼子勢を次々と破り、ついに尼子家は滅亡に追い込まれる。

 

 山中鹿之介は尼子家の家臣として、若くからその秀麗な風貌と恵まれた体格による武勇で、家臣団の中でも将来を嘱望されていた。初陣から敵の勇将の首を上げる活躍を遂げるが、毛利家の大軍には抗しきれず、尼子家の滅亡を食い止めることはできなかった。

 

 尼子家滅亡後、鹿之介は牢人となり京都に居を構えて、尼子旧家臣団の連絡拠点とする。そこで東福寺で僧をしていた尼子国久の遺児である勝久と出会い、勝久を旗頭として尼子家再興を企む。鹿之介は山陰に戻り旧臣たちを集め、末次城を確保するとここを拠点として勢力を広げ、かつての主城である月山富田城の攻略に取り掛かる。

 

 しかし毛利軍の反撃に会い、鹿之介は敗退を繰り返す。尼子勝久は逃げ延びるが、鹿之介は毛利元就の次男、猛将の吉川元春に囚われてしまう。そこで激しい下痢に見舞われると、相手方の将、大沢七郎兵衛は心配になり親切に薬湯を誂えてもらう。そこで鹿之介は厠から抜け出し脱出に成功するが途中気付かれ、親切にしてくれた七郎兵衛を背後から襲い、命を奪って逃げ出すことに成功した。

 

 隠岐の島に逃亡して再度尼子家再興を目指す鹿之介だが、仲間たちは武力と謀略で勝る毛利家に次々と寝返っていく。そこで鹿之介は織田信長を頼り、丹波攻めや信貴山城の戦いで比類無き働きをして織田家中に認められ、毛利攻めに向かう際には、鹿之介は秀吉傘下に組み入れられて従軍する。

 

  *山中鹿之介(ウィキペディアより)

 

 秀吉は前線基地である上月城を攻め落とし、尼子勝久に守備を任せる。ところがそこに別所長治の謀反が起きたため、織田軍の勢力は三木城に裂かれてしまい、毛利家による反撃対して援軍を出すことができず、上月城は孤立してしまう。水や食料もままならず、やむなく毛利軍に降伏し尼子勝久切腹

 

 城主の死と引き換えに鹿之介は人質として生き残るが、散々痛い目に遭った吉川元春は、約束を破り鹿之介を謀殺することを決意する。そして鹿之介を謀殺する役目を担ったのは、かつて世話を受けながらも殺害した七郎兵衛の婿、河村新左衛門であった。

 

【感想】

 戦国の世、群雄が割拠し、天下に覇を競う下克上の世に、数ある英雄豪傑の中でもひときわ異彩を放つ美丈夫・山中鹿之介。主家・尼子家が毛利の攻撃に敗れ去った後も、一途に主家復興を計って苦心惨憺を重ねる。その、清廉を謳われ、忠義の士とたたえられた悲運の武将の実像を描く。 

 ~Google Books より

 

 このブログで、初めて出版元による紹介文を「コピペ」した。いつも私の感想と平仄を合わせるために紹介文は使わず、【あらすじ】は自身で書くようにしている。

 しかし、この紹介文はいただけない

 

 尼子家再興のために「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った逸話が有名。主君に最後まで尽くす忠誠心から江戸時代の講談で世に広まり、戦前の教科書にも取り上げられた山中鹿之介を描いた作品。

 そんな主人公の作品だが、冒頭は作者池波正太郎が取材のために米子空港に降り立ち、終戦時その場にあった海軍航空隊から復員したエピソードを描いている。戦国の世を描く作品になぜ現代の風景を挿入したのか。何かの伏線かと思ったがこの場限り。

 秀麗で力も強く、子供の頃から家臣団に注目された山中鹿之介。そして鹿之介自身も周囲の評価を利用して、自己中心的に考える人物として描いている。家中でも美貌で評判だが、婚約者が既にいる亀井秀綱の娘千明の部屋に夜這いして自分のものとし、親も鹿之介の将来を有望と見て、その行為を許してしまう。

 婚約者を奪われた形となった清松弥十郎は周囲の冷ややかな目に反発して、戦場を利用して鹿之介を殺害しようと試みるが、その力量に乏しく戦場から去り、自らの特技である「絵」の世界へと身を引いていく。そして「絵」の才能で、後に鹿之介の思いに協力することになるのだが、この鹿之介との対比も、意味深長に思える。

 

   *「生涯の敵」毛利元就ウィキペディアより)

 

 戦場の働きに加え、智略でも何度か毛利家に煮え湯を飲ませた鹿之介は、尼子家臣団の中心となって率いる。しかし鹿之介の尽力にもかかわらず、尼子家再興はなかなか実を結ばない。そして鹿之介は、どのような窮地に陥っても「自分は運がいい」と根拠もなく信じて、その困難がいずれ打開されると信じている。

 そして最後は、親切にしてくれたのに殺害してしまった、七郎兵衛の婿である河村新左衛門が、「義父の仇」として鹿之介を討ち取る場面を最後に、唐突とも思える形でバッサリと物語を終らせている

 

 没落していく主家に最後まで尽くした忠臣として、戦前は崇められた山中鹿之介。ところが池波正太郎の作品群からすると、冒頭で終戦時と取材時の時代の流れを敢えて挿入し、本作品のタイトルを「英雄にっぽん」と池波正太郎らしくない言葉を選んでいる。

 海軍に入隊するも、暴力的な上司と陰で物質の横流しをするやり方に反発して、何度も鉄拳制裁を受けていた池波正太郎は、戦前に「国威発揚」で描かれた人物の実像を暴き、「にっぽんの英雄とはしょせんこんなもの」と言い放っているようでもある。それを江戸っ子の池波正太郎は、よりスマートに、同級生の司馬遼太郎が評した「巧みな隠喩の使い手」のなせる技で描いたものかと、深読みさせる。

 

 なお尼子家は旧臣達が亀井家を中心に生き残り、秀吉傘下で勢力を保持、亀井琉球として秀吉から家康の世を渡り、津和野藩の藩主として明治まで続いていく。そして鹿之介の長男とされる山中幸元は父の死後、武士を廃して酒造業を始めて成功し、幕末には天下一の豪商と詠われた鴻池家の始祖となった。

 

*尼子家旧臣は山中鹿之介のあと、この人を中心にまとまり、大名として続きました。