小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

17 悪名残すとも(陶晴賢)吉川 永青(2015)

【あらすじ】

 鎌倉から続く西国の名門大内家。その筆頭家老の陶(すえ)家の嫡男隆房は、主君大内義隆の寵童上がりとして秀麗な容姿を持っていたが、若くして大器の才も誇っていた。20歳で当主義隆の代わりに1万の軍勢を率いた先は、わずか2,400の軍で籠城している、大内家配下の豪族毛利元就郡山城に、尼子軍3万が攻め込まれている戦場だった。

 

 籠城とは言え圧倒的に不利な軍勢で、毛利元就は半年間持ちこたえていた。そして陶隆房の援軍を見て、会話を交さずともお互いが意図を感じあい、見事な呼吸で尼子軍を挟み撃ちにして敵を退散させる。陶隆房毛利元就の巧妙な軍配に感じ入り、元就は隆房の若くして有する非凡な戦術眼と、大国大内家を率いて天下をも見据える気宇の壮大さに、将来性を感じ取った。

 

 この勝利で隆房は主君大内義隆を擁して尼子の月山富田城攻めを行なうが、攻略できないまま撤退し、退却で多大な損害を受けてしまう。西国の太守として一時は上洛の気概を有していた大内義隆だが、この敗戦や嫡子の夭逝も重なり、弱気に転じてしまう。戦を回避し、公卿の接待や文化的な営みに財を浪費し、その穴を「天役」と呼ばれる臨時の年貢を頻発して農民を圧迫する。

 

 隆房を始め「武断派」の家老たちは、治国のためにも義隆に諫言するが、右筆の相良武任が義隆の意を呈して武断派の家老たちを排除していく。国主の意向は壟断され讒言が入り混じり、国主と家臣の距離が離れ、名門大内家の勢威を目に見えて衰えていった。

 

  

陶晴賢ウィキペディアより)~美男子を言われているのだが・・・・

 

 隆房も主君義隆から疑われ、ついに主君を「押し込め」、つまりは引退させ、嫡子を擁して権力を握ろうと仲間と計らう。しかし隆房は腹の中で「押し込め」では足りず、更なる野望を抱いていた。危険を感じて出奔した相良を討ち取り、寺に籠もった主君大内義隆を自害に追い込んだ。そして陶隆房は名を晴賢と替え、大友家から迎えた義長を擁して、新たな大内家を支えて、西国経営に取り組もうとする。

 

 その動きを毛利元就は冷徹な目で見定めていた。乱世にも関わらず大内家から脱せられない陶晴賢に、元就は将来に不安を抱く。そうとは知らず晴賢は一方的に毛利家の領土替えを通告してきた。元就への信頼の裏打ちによるものだが元就はそれが裏切りと取り、晴賢を見限る決意をする。叛旗を翻した元就は、瀬戸内の海運の拠点である厳島を死守するために2,500人の兵で立て籠もる。対して晴賢は、厳島に3万もの兵を集中して一気に決着を図ろうとした。

 

 しかしこれは過去に郡山城で、大軍の尼子軍をせん滅した手法をなぞったもの。矮小地に大軍を誘い込み、奇襲で一気に撹乱された陶軍は大混乱に陥る。晴賢は小さな島から逃げ切れず、35歳の若さで最後を遂げる。

 

   大内義隆ウィキペディアより)

 

【感想】

 主人公の陶晴賢(隆房)だけでなく、先に取り上げた「天命」の主人公、毛利元就を敵方から見た内容になっている。主君の「寵童」だった隆房が、どのようにして主君に「反逆」を企てる事態に至ったのかを描き、それを毛利元就が観察し、評価する構成を作りあげた。作品の冒頭に元就と隆房が協力して敵の大軍を打ち破り、その後初対面で、お互い腹の中を探りながら徐々に相手を見定める様子は、その後の「結末」を史実で知っているために、尚更興味深い。

 若くして秀麗で英邁、そして大軍を率いる器量も持ち、野望は天下に向けている隆房を、40歳を過ぎてまだ地方の小豪族に過ぎない元就は眩しく移る。ところが大内家の中に入ると、主君に対する忠義と、その「佞臣」による主君の意を呈した発言の狭間に揺れ動き、忠臣であったはずが徐々に気持ちが離れていってしまう。国でも企業でも、衰退の途ではこのような「佞臣」が存在するもの。

 結局陶隆房は挙兵し、主君大内義隆を自殺に追い込む。そして新たな「傀儡の」主君を擁立したが、全てを自ら判断しなければならなくなった隆房は、まるで本能寺の変明智光秀のように、押し寄せてくる様々な決断に振り回されてしまう。そして秀吉ならば巧みにこなしたであろう人心掌握を長年の同士、「よりによって」毛利元就相手に誤る。

「酸いも甘いも噛み分けた」毛利元就は、陶晴賢の心の弱みを見切る。そして戦略で敵の人心に楔を打ち込んで勢力を離反させ、戦術で少ない軍勢でも対等に戦える厳島に敵をおびき寄せる奸計に嵌まり、厳島の合戦で大敗し、死に至る。しかし若くして大器の片鱗を見せつけた陶隆房でさえも非業の最期を遂げることになり、元就は子や孫に、天下への欲を戒める心境に至る。

 

 

 厳島御一戦之図(毛利家文書:ウィキペディアより)~河越夜戦桶狭間の戦いと並んで「日本三大奇襲」の1つ。

 

 本作品で頻繁に登場する「押し込み」。能力の劣る主君を隠居させて、家臣が代替わりを促す手段。江戸時代の大名に使われた用語かと思っていたが、一括りに「下克上」と呼ばれる戦国でもその考えはあり、例えば10代将軍足利義材(義稙)を押し込めた細川政元や、父武田信虎駿河に追いやった武田信玄などもあてはまる。

 しかし最終的に主君を自殺に追い込み、平安時代から続く名門大内家を滅亡に導いてしまった陶隆房は、結局は明智光秀の役割を担い、その後秀吉が躍進したように、毛利元就が西国の覇者となる手助けをしてしまった。そう考えると大内義隆の辞世の句は意味深長である。

  討つ者も 討たるる者も 諸(もろ)ともに

  如露亦如 (にょろやくにょでん:はかないこと)

  応作如是観 (おうさにょぜかん:かくのごとし)

 

 大河ドラマ毛利元就」で陶晴賢を演じた陣内孝則。「曲者」の役がハマります (・・・・デジャブ? 宇喜多直家も演じていましたね)。