小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

13 まかり通る(電力の鬼 松永安左ェ門) 小島 直記 (2003)

【あらすじ】

 1875(明治8)年、長崎県壱岐の商家に生れた松永安左エ門は、福沢諭吉の教えに共鳴して慶應義塾の門をくぐる。途中病気や父の死などで向学心が衰えると、福沢の助言もあり、卒業証書を頼らない人生を歩む決意をする。まず日本銀行に就職するも、官僚的な組織に馴染めず1年で退社。諭吉の養子だった福沢桃介の知遇を得て、神戸や大阪で桃介の手足となって木材や石炭の卸業者を営むも、うまくいかず失敗ばかりで、生活も事に欠く日が続く。

 1909年に九州で電気会社に関わることになり、それがきっかけで電力業界に足を踏み入れる。当時電力業界は全国各地で玉石混淆に乱立している状態だったが、安左エ門は水を得た魚のように動いて、周辺の会社を呑み込んでいく。東邦電力を設立し、九州から近畿、そして中部まで勢力を伸ばして、東京進出を図る。

 

【感想】

 明治時代の歴史小説を読むと、ちょくちょくと脇役で福沢桃介が登場しているが、その実績が今ひとつはっきりしなかった。福沢諭吉の養子、貞奴の愛人、そして相場師と様々な面があるも、どれも中途半端な印象がある。本作品では松永と同じ色男、放蕩児の兄貴分として、安左エ門の人生に絡んでいる。但し桃介はアイディアを出してはすぐに飽き、また松永に事業をそそのかすも、自分ではしごを外して違う分野に移り気になる。安左エ門もそんな桃介を持て余し気味になるが、次第に根は似た者同士にも見えてくるから不思議。

   松永安左エ門ウィキペディアより)

 

 社会人スタートの日本銀行勤務から、新人なのに「総裁秘書役」と勝手に思い込んで先輩に頭を下げることを潔しとしない性格は、まさに「栴檀は双葉より芳し」。官僚的組織の日銀は1年と持たず退職して桃介の世話になるが、そんな安左エ門も、自らを「軽薄才子」と言いきる桃介には、始終振り回されるのが可笑しい。但し安左エ門もだんだんと桃介の欠点を理解して、徐々に桃介の傘から離れて、自分の甲斐性で商売に取り組んでから芽が出始める。

 関西に勢力を伸ばした安左エ門だが、同じく関西で鉄道経営をしている小林一三から頼まれて、引込線の承認を得るために骨を折る。ところがそれが贈収賄事件として、安左エ門と小林は収監されてしまう。当時は贈賄側は罪にならないので、証言をすればすぐにでも釈放されるのだが、安左エ門はここでも潔しとせず、黙秘を続ける。それどころが責任を感じて憔悴仕切った小林と違って、安左エ門は余る時間で今後の事業計画を立てて、面会に来た桃介に一石ぶって呆れさせるほどの「鋼のメンタル」を見せつける

 そして極めつけ。戦時下で統制経済を進める官僚たちにたいして「人間のクズ」とまで言い切った。当時の情勢から見て、かなりのリスクを抱えることは承知の上での発言。結局は戦争の激化によって電力会社は完全に国の統制下に入り、安左エ門が心血を注いだ東邦電力は解散。安左エ門は隠居し、茶の湯で名を馳せることになる。

 終戦を迎えると福沢桃介も既に鬼籍に入り、もう松永を抑える者はいなくなる。人間的には合わない池田成彬も松永の実力は認め、吉田茂に進言して電気事業師編成審議会会長に就任する。1社独占を図る会社側に対して、恫喝と政治的駆け引きを交えて、自らの目論みである分割民営化(9電力体制)に成功する。そして電気料金の7割値上げなどの強攻策を頭ごなしに行い、反対派からは「電力の」と呼ばれることになる。

   *松永安左ェ門の人生に多大な影響を与えた福沢桃介

ウィキペディアより)

 こんな調子で95歳まで生きて、様々な団体の長を務めることになる。80歳を過ぎても海外視察などを続けて、国策を度々と進言する姿勢は、時の池田首相も頭があがらなかったようである。官僚を「クズ」と言いきった男は、勲一等の打診を受けた時に「人間の値打ちを人間が決めるとは何事か!」と激高する(但し結局は「後輩のことを考えて」受勲する)。頼れる者は己のみ、との信念を貫き通し、先輩やライバルも一目を置いた、まさに「まかり通る」人生。そしてそのイメージは、同じ姓で己の実力のみを信じた戦国時代の梟雄、松永久秀となぜか重なってしまう