小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

【コラム】ネットニュースって、何?

1 最近のテレビの内容は・・・・

 昭和の時代から「テレビっ子」だった私ですが、最近のテレビ番組には辟易としています。30分番組を2時間に薄めたような内容、番宣や事務所に偏った出演者、そして出演者に進行を丸投げして、ハナから企画構成を諦めているとしか思えない番組制作。

 その中で情報番組やニュースはまだ観ることができる思っていたのですが、こちらも最近はどうも・・・・

 情報番組は「仮定」の話を延々と繰り返して時間が経過していき、攻撃「できる」相手とスルー「しなければならない」相手を明確に区別しています。ニュース番組はと言うと、コロナの報道で時間の大半が占められるのはやむを得ませんが、自分の足を全く使っていないYou Tubeや投稿と思われる、ドライブレコーダーなどの映像を流してコメントするなど、番組の独自性が全く感じられません。

 このような状態だと、ネットからの情報が重宝するのですが、最近のネットニュースも「ちょっとこれは・・・・」と思うことが目立って来ています。

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2 対してネットニュースの内容は・・・・

 今回ネットニュースを取り上げたくなった理由は、ビートたけし(敬称略です)の自動車が襲われた事件の記事を見てから。9月3日(土)夜の情報生番組出演後にテレビ局から車で帰る途中、その車が40代男性からツルハシ(!)を使って襲撃された事件。本人に怪我などは無かったようで、それは何よりですが、これについて、いくつかのネットニュースの報じる内容は、以下のように変遷していきます。

 〇事件翌日の最初の記事

  「生番組でたけしが選挙の立候補について言及したことに反発した、政治的背景が原因か」

 〇その翌日、以前犯人がたけしに土下座して入門をお願いしたが、無視された情報が流れて、

  「たけしに無視された対応に対しての、逆恨みが犯行原因の模様」

 〇そのまた翌日、NHKが、襲った男性が反社会的勢力の一員の可能性ありと報じられて

  「事務所独立問題などで、それまで周囲にいた人たちが離れて、恨まれた要因が懸念される」

 

 同じ人が書いてはいないでしょうが(同じ人が書いている可能性もある)、とにかく断片的な情報を元にした、想像と妄想による記事で、全く裏付けを取っている様子がありません。果たしてこれで「ニュース」と言えるのでしょうか。スクープ狙いの週刊誌でも、その後の記事を検証する作業は行っていますが、ネットニュースでは検証する気配もありません。

 

3 ネットニュースの目的は・・・・

 今回の記事に限らず、大物芸能人をタイトルに使った、コメントを焼き移しただけの記事や中身のまるでない記事。そして「臭わせ」のタイトルで、記事の内容がまるで違う記事なども、最近特に見かけるようになりました。

 私も今春からブログを始め、皆さんのブログの中にSEOなど、アクセスを増やすノウハウを記載した記事を読む機会を得て、「webライター」の存在やその手法が少しずつ見えてきました。実際に「想像と妄想で記事を書く」とインタビューに答えているwebライターもいます(そうでないライターもいることを、一応付け加えます)。

 以前のネット記事やネット情報は「情報のデータベース」として、情報を自分で取捨選択して、自ら考える場として活用していました。しかし最近は週刊誌でも行わない「飛ばし」の記事が乱立して、そこをかき分けて「データベース」に行き着くまでに、大変な労力がかかる印象があります。

 そして、大手ポータルサイト(インターネットをアクセスする際に、最初に訪問するサイト)でもこのようなネットニュースが目立っているような印象を受けます。当然このような記事の価値判断は「アクセス」がどれだけ多いかのみ。記事の質はもとより、その「真偽」さえも問題ではないようです。そしてその記事の検証や謝罪は、ほとんど行われない状況です。

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4 今後はどうするの?

 欧米に比べ、日本のネットニュースは芸能関係が多いと聞きます。それだけ人々の興味が政治経済にむかず、タレント情報などに向かいやすいのでしょう。以前このブログで、読む人の「民度」にも問題があると書きましたが、これも平和な日本の縮図を示していると思います。

 情報が氾濫する中で「真実」を見抜く目が必要になるとよく言われます。しかし現状を見ると「玉石混淆」を通り過ぎて「悪貨は良貨を駆逐する」ことにならないかと危惧されます。

 21世紀に花開いた「桃源郷」とも言えるインターネット社会が、このままでは「資本の論理」が横行する、バトルロワイヤルの会場と化してしまいます。アクセス数を増やすために、犯罪行為も厭わないYou Tuberも存在しています。読者などの心理をついて炎上を狙った発言をするコメンテーターやブロガーなども登場して、ネット社会は百花繚乱から百家争鳴の事態に陥っています。とは言え、その行為を遮断するために、中国のようなネット統制は、求めるものではありません。

 Twitterで「いいね」を押しただけで、損害賠償が請求される事件を起きました。法律的な判断も今後整備され、「資本の論理」と収斂されて、少しずつですが良い方向に行くと信じたい心境です。またネット社会に参加する私たちが「真実」を判断する目を養うことで、このような「悪貨」は自然と駆逐されていくはずです。

 そして人の「心」の問題。インターネットの(現在の)特徴である匿名性を利用した記事を、そして上から目線でコメントするコメンテーターや炎上目当てで発言をする人を見る度に、私は40年以上も前に作られた歌の歌詞を思い浮かべてしまいます。

 

  世の中はとても臆病な猫だから 他愛のない嘘をいつもついてくる

  包帯のような嘘を見破ることで 学者は世間を見たような気になる

   ( 「世情」作詞作曲 中島みゆき:1978年 )

 

 *今回は私自身も、自戒を込めて書きました。