小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

8 天の川の太陽(天武天皇) 黒岩 重吾 (1979)

【あらすじ】

 中大兄皇子の弟として育った大海人皇子大化の改新を実行した政界の実力者だが、弟は兄の奥底にある冷酷で非情な性格を察知していた。母の斉明(皇極)天皇は目の前で愛人、蘇我入鹿が殺害されてから心神耗弱の状態が続いている。その間に中大兄皇子はわがもの顔で邪魔者を次々と粛清する一方、同母妹で孝徳天皇の皇后であった間人皇女を寵愛して周囲を困惑させる。また大海人皇子が愛する妻であった額田王を奪われていた。

 

 大海人皇子はそんな兄に疑問の目を向けるが、油断なく対応する。自分は一介の武弁者であり、政治はよくわからないと言い、国政から身を引いていた。また愛する額田王を兄に譲り、その後もなるべく額田王接触しないように努める。対して中大兄皇子は一抹の負い目を感じたのか、自分の娘である太田皇女、そして妹の讚良皇女を次々と妃として嫁がせた。

 

  

 天武天皇ウィキペディアより)

 

 太田皇女はか細く言葉少なで、その性格は「月」。対して妹の讚良皇女は大柄で、自分の意見もはっきりといい、その性格は「太陽」。病気がちな太田皇女を、妹の讚良皇女はいつも心配していた。そして太田皇女は病から亡くなってしまうが、亡くなる前に子の大津皇子の先行きを心配して、大海人皇子と妹の讚良皇女に頼む。讚良皇女は死の床で大津皇子を抱いて姉、太田皇女に体面させる心遣いを見せる。

 

 大海人皇子は兄中大兄皇子と異なり明るく開放的で、女性や下の身分の者にも慈悲深く、周囲の人気が大きい。対して中大兄皇子は、大海人皇子を皇太弟として次期天皇の扱いをする。しかし天智天皇として即位すると、自身の子である大友皇子を可愛がり、大海人皇子を押しのけて皇太子として次期天皇にしようと目論む。

 

 大海人皇子は兄天智天皇が生きている間は反抗できないと悟り、大津皇子を皇太子として認め、自分は病で政治の舞台から去ると伝える。

天武天皇を巡る人々① 冷酷で独裁者の兄・天智天皇

 

【感想】

  大化の改新を成し遂げた者たち。皇極天皇は目の前で愛人(と言われた)蘇我入鹿を殺害されて精神的に追い詰められ退位。その後息子中大兄皇子の傀儡となり斉明天皇として重祚(ちょうそ:退位後再度天皇に即位)するもいいように使われて、新羅征伐に赴く軍勢とともに遠路に従い、悲運のまま旅先で寿命を終える。

 中大兄皇子は独裁者となり、冷酷な性格を隠さなくなる。蘇我氏の一族ながら大化の改新に参じた蘇我石川麻呂を自殺に追い込み、孝徳天皇の子有間皇子も謀反の嫌疑をかけて処刑するなど、反対勢カは次々と排除されていく。「執政」として政治の実権を握り、その後天智天皇として、皇帝を模した存在に君臨する。

 但し周囲の中大兄皇子への信任は徐々に落ちていく。禁断とされた同母妹との恋、しかも孝徳天皇の皇后、間人皇后を奪ってのものであり、周囲が見る目は厳しかった。そして外交でも歴史的な失敗をする朝鮮半島倭国と親しかった百済が、大帝国・唐と新羅の連合軍によって滅亡。百済復興のために中大兄皇子新羅に兵を派遣するが、唐と新羅の同盟軍に白村江の戦いで大敗する。唐の襲来を恐れ九州に水城を作り、瀬戸内海から離れた近江に遷都する。 

 本作品は、大化の改新の時点では尾張で生育していたとしている大海人皇子を主人公としている。現代ミステリーを描いていた黒岩重吾が、古代を舞台とした初めての小説(発刊は推古天皇を描いた「紅蓮の女王」が先行)。私の乏しい知識では、日本史の教科書的に大化の改新を成し遂げた天智天皇の権力を、弟の天武天皇が纂奪したと思い込んでいた。対して本作品は、天智天皇の独裁体制を改革して、そして百済への義理で進めた外交政策によって倭国を陥れた危機を、新羅と結ぶことで回避した功績を描いている。  

 

天武天皇を巡る人々② 愛する額田王を、兄・中大兄皇子が奪ったとされています   

 

  大海人皇子は「秀吉が亡くなるまでの徳川家康のように」忍従に耐える。政治に興味がないように装い天智天皇への忠誠を誓い、子供の大友皇子を次期天皇とするために自分は出家して吉野の深くに身を引く。そのため大海人皇子の命を取るか迷っていた天智天皇も出家を許し、死後の禍根を残してしまう。天智天皇の側近がこぼしたように、虎を野に放ってしまった。

 大海人皇子は家康のように、天智天皇の「死後」を見据えた準備は怠らなかった。倭国の刀剣より数倍も威力のある唐の鉄を使った刀剣を集め、また地方の舎人とも親交は深くして、朝鮮出兵や遷都などにより労力を狩り出され疲弊していた地方豪族の心を捉えていた。

 そして大海人皇子天智天皇の死を迎えると、漢帝国を建国した劉備になぞらえて、満を持して決起する。日本で最初に天下を二分した内乱、壬申の乱大友皇子弘文天皇)に勝利して、天武天皇として即位する。但し劉邦(高祖)の死後、妻が呂太后として独裁者となったかのように、天武天皇の皇后讃良皇女も、自身の子である草壁皇子皇位に継がせたく、姉の子である大津皇子を謀反の疑いで殺害するに至る。そして草壁皇子が即位する前に若くして亡くなると、その子軽皇子文武天皇)に継がせるために自身が即位した (持統天皇)。

 

 社会派の小説家としてデビューした黒岩重吾は、子供の頃近所の古墳群に親しんだことがきっかけで、古代を舞台とする作品も多く手掛けるようになった。それらの作品を読むと、次第に山に囲まれた飛鳥のあぜ道に、登場人物たちの姿が自然と浮かんでくる。中大兄皇子中臣鎌足が謀議を巡らし、大海人皇子額田王が歌を詠み合う。ワカタケルと蘇我入鹿が遠くで疾走する中、聖徳太子が馬に乗り、歩みを止めて農民に声をかけている。

 そんな情景が、読み進めると自然と脳裏に浮かんでくる。

 

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天武天皇を巡る人々③ 天武の息子は母が亡くなったあと、その妹持統天皇によって「排除」されます。

 黒岩重吾は、天武天皇の周辺の人物もきめ細かく描きました。