小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

2 義経 (1968)

【あらすじ】

 保元・平治の乱で平家に敗れ、源氏の棟梁である源義朝の子、義経は己の出自を知ることなく不遇の暮らしをしていた。やがて素性を知り、京を出奔して奥州藤原氏の庇護を受けて成長する。時に源氏を破った平清盛は朝廷を支配し、その横暴に対して不満が広がっていた。

 

 そして以仁王の令旨によって平家の権勢に不満を抱く集団が次々と蜂起する。中でも源氏の嫡流を継ぐ義経の兄、源頼朝が挙兵する事によって、義経のその旗下に参加する。先に入京した木曽義仲の狼藉を駆逐する命を受け、頼朝の軍勢は侵攻するも、その間西国で勢力を立て直した平家に対し、頼朝の弟範頼の軍勢と膠着状態が続いて平家討伐に至らない。やむを得ず頼朝は、才能を認めながらも勝手に振る舞う「危険」を感じていた義経を派遣する。

 

  源義経ウィキペディアより)

 

 満を持して戦場に躍り出た義経は、一ノ谷の戦い屋島の戦いを鮮やかに連勝する。そして壇ノ浦の戦いで平家相手に決定的な勝利を治めて滅亡に追い込んだ。

 

 まだ戦術が武士に浸透していない時代。頼朝ともう1人、後白河法皇義経の価値に気づいた。法皇義経を朝廷に取り込もうと官位を授け、義経は無邪気に喜ぶが、東国で新たな政治基盤を築こうとしていた頼朝は戦慄する。そして頼朝から追討の命が下された義経は、なぜ兄から追討されるのかわからないまま逃亡を続け、ついに奥州で非業の死を遂げる。

 

【感想】

 本作品で、司馬遼太郎は大きく3つの主題を提示しているように思える。

 第1は、義経の戦術における「天才」性について。それまでは個々の武士が名乗りを上げて、力まかせにどれだけ多くの敵を倒したかが武士の誉れであったが、義経は小柄で武士としては非力な体格。但し戦争を集団のぶつかり合いと見て、戦闘集団を迅速に移動させて敵の背後を突く(一ノ谷の戦い)。迅速果敢に、嵐を利用して船団で急襲して、相手の隙を狙って攻める(屋島の戦い)。反対に壇ノ浦の戦いでは、潮の変わり目を冷静に分析して、自分が有利な情勢になるまで待つなどの「戦術」を取った。特に一ノ谷の戦いで行った騎馬隊による迅速な移動戦法については、司馬遼太郎アレクサンダー大王ジンギスカン、ナポレオン等と比肩するほどの評価を与えている

 但し「逆説の日本史」で井澤元彦は、義経の戦術を、幼少の頃流浪でかなり凄惨な暮らしをした中で培った「夜盗」の戦い方を応用していると推測している。それは豊臣秀吉が同じく流浪の中で野武士の蜂須賀小六と付き合い身につけたことと重なる。「武士」の立場では考えつかない戦術。義経の天才性は「コロンブスの卵」に通じるものであって、空海の天才とは性質が異なると感じる

 第2は、鎌倉幕府の成立要因を、律令体制下における土地の支配に関連付けたこと。自ら開墾したものも藤原氏の荘園として、その「代官」という立場でしか支配できなかった不自然な土地所有体制を「一所懸命」、自ら汗を流して開墾し命を懸けて守った者が種有する体制に変更させた。平家政権は武家の政権でありながら、船の貿易による利益が多かったこともあり、武士団の土地所有への配慮は足らなかった。そんな不満をうまく感じ取った源頼朝に武士団の支持が集まるが、自らの武士団を持たない頼朝の政権基盤は余りにも脆弱で、武士団の支持を失えばたちどころに転がり落ちる状況であった(そして、実際そうなった)。義経は頼朝の「危うい立場」を、最後まで理解できなかった。

 第3義経を日本史上最初の「アイドル」と定義づけたこと。源範頼が平家討伐のため西国に出向いても戦況は好転せず、膠着状態が続いて、平家の圧政に苦しんでいた京の市民も固唾を呑んで見守っていたが、義経が西国に攻め入ったとたんに、短期間で見事な戦果を収めて、平家一門を滅亡させるに至った。京の市民は戦争の内容はわからない。義経が率いたら平家は瞬時に滅亡した」と、板東武者とは異なる印象を持ち、ヒーロー扱いになった

    *源頼朝

 

 そのため後白河法皇義経を利用しようとする。権謀を弄する法皇と何も知らずにはしゃぐ無邪気な義経を、頼朝は「憎んだ」。結果頼朝は、その存在が大きくなってしまった義経を徹底的に追い込んでいく。またそれを利用して、義経追討の名目で朝廷から守護・地頭の権利を認めさせ、かつ八幡太郎義家以来の源氏の因縁の地である奥州の制覇も成し遂げた。義経はその存在で、皮肉にも鎌倉幕府が成立する役割を担うことになる。

 悲劇の天才、源義経司馬遼太郎は「運命に翻弄される理由」を明確にして描いた。結果、義経は逃亡先で庇護を頼んだ奥州藤原氏によって31歳の若さで討ち取られる。頼朝は義経の首を見て「悪はほろんだ」と口にした。司馬遼太郎「悪とは何か。(中略)源義経というこの天才の短い生涯は、後世に至るまでその問いを人々に考えさせ続けた」と述べて作品を結んでいる。

 司馬遼太郎は随筆で、科学について酸素は善で、水素は悪という定義はないと独特の言い回しで説明し、対して歴史に携わる者の宿命を語っていた。立場によって変わる悪の定義に翻弄される偉人たち。恵まれた才能があるのに、その歴史的な役割を理解できない人間は「善悪」ではなく、本人にとって大きな「不幸」であり、周囲には「災い」と化して歴史の舞台に登場する。

 古代から中世への時代の変化を描くのに、司馬遼太郎源頼朝でも北条義時でもなく、その時代の変化に最後まで気づかなかった義経を選んだ。

 

  

*「鎌倉殿の13人」で描かれた義経が、本作品に一番近いような気がします(NHK)。