小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

4-1 国盗り物語① - 斎藤道三編 (1963-)

【あらすじ】

 かつては妙覚寺本山で学識を謡われたものの、世に出る思い捨てがたく、還俗して牢人となった松波庄九郎は、その日を暮らすのがやっとの一方で「国主になりたいものだ」と途方もない夢を抱いていた。間もなく庄九郎は知恵と才覚で、若後家のお万阿が支配する、有数の油問屋「奈良屋」の婿に入り込むことに成功するも、国主への夢は捨て難い。油問屋の亭主の座から去り、豊沃の田地に恵まれ、京に近く東西の交通の要地にある美濃一国の「国盗り」に挑むことにする。

 

 鎌倉の世より美濃の守護に封じられた土岐氏は、民や家臣を顧みない怠惰な生活を送っていた。庄九郎は守護・土岐政頼の弟の頼芸に狙いを定め、多芸を武器に家臣となることに成功する。頼芸は兄との相続争いに敗れて以来逼塞する身であったが、庄九郎は策謀を駆使して政頼を国外へと追い払い、頼芸を守護の座に就かせることに成功する。頼芸の信頼を得て、愛妾で美貌の評判の高い深芳野を手に入れた庄九郎は、政敵を排除して自らの権力基盤を固めていった。その謀才から、庄九郎は周囲から「蝮」と呼ばれ、恐れられるようになる。

 

 庄九郎の強引なやり口に反発した美濃の地侍は反旗を翻して、一時美濃から追われるが、尾張の大名・織田信秀が大軍を率いて美濃へ攻め込んだため庄九郎は美濃へ戻り、巧みな采配を振るって織田軍を撃退する。同時に起こった水害でも見事な復興指揮をとることで、領民から絶大な支持を得た。頼芸の薦めで守護代・斎藤氏の名跡を継ぎ、美濃の実権を手にした庄九郎は、政体の刷新にとりかかった。

 

  斎藤道三ウィキペディアより)

 

 能力あるものは、下級の身分からでも大胆に抜擢するとともに、巨大寺社が牛耳っていた商売の専売特権を開放して、自由な商業行為を認める「楽市楽座」を実現させた。庄九郎が手掛けた政治思想は、鎌倉以来根づいていた中世秩序を崩壊させるものだった。国内の抵抗を鎮圧して人心を掌握すると、庄九郎は天険に恵まれた稲葉山城を巨大城郭に生まれ変わらせた。翻って守護たる頼芸は酒色に惑溺するばかりで人望を失っており、もはや誰ひとり憚ることなく、野望を成し遂げる時が来たと判断した庄九郎は、頼芸を美濃から追放して、守護の座を奪いとった。

 

 ついに念願の「国盗り」を完成させた庄九郎は、戦国大名斎藤道三として美濃国に君臨する。還俗して寺を出て二十年余、美濃の「国盗り」は完成したものの、天下を取るにはすでに大きく齢を重ねてしまい、時間は残されてはいなかった。     

 

【感想】

 当初は斎藤道三の一生を描くつもりが、書いている中でその「弟子」とも言える織田信長明智光秀の衝突まで描くことになった作品。私は司馬遼太郎の作品は、いわゆる「幕末物」から入り、戦国時代を舞台とした作品を読むのは本作品が初めてだったが、道三が戦国時代の中で、束縛なくエネルギッシュに躍動するさまが眩しく描かれて、歴史小説とは思えない「溌剌さ」を感じた。また道三と光秀、そして信長との繋がりは、今でこそ広まったが、当時学校で学ぶ「日本史」には書かれておらず、驚くと共に歴史の不思議な因縁を感じた作品となった。

  

*「麒麟が来る」では、本木雅弘が新たな「道三像」を作りあげました(NHKより)

 

 寺で俊才を謳われた道三が出奔するも、日々の食物に困る状況から物語は始まり、荷役の「ボディーガード」から油屋の婿に入り、そこから身代を「盗む」。その後油屋の財産を背景に美濃で任官してから次第に出世して国主に至る。まるで「わらしべ長者」のように立場が変わっていく様子が非常に興味深い。身分が変わるたびに京に戻って、奈良屋のお万阿に報告する姿が微笑ましく、作品のアクセントとなっている。そして立身出世を支えた道三の才覚を描く筆が見事。頼芸の愛妾「深芳野」を貰い受ける時の「虎の眼」の画材に槍の穂先を刺すシーンは、まるで青春小説を読んでいるようである。そして深芳野の子が道三の破滅をもたらす「種」となるのは、余りにも皮肉な運命と思える。

 文化、故実、そして武芸と全てにおいて秀でて、かつ新しい社会を切り開いて構築する頭脳と「合理性」を併せ持った道三。では道三が信長の立場で生れたら、天下はどうだったか。本作品を読むと、戦国時代で信長以外に天下統一を手がけることができた人物は、道三しかいないと思わせる。しかし美濃一国を乗っ取るために、自分の能力と人生、そして周囲からの信頼という「貯金」を全て使い果たしてしまった道三は、最後に「息子」義龍から葬り去られる皮肉な運命を味わう。

 「息子」には恵まれなかった道三だが、2人の弟子を見出した。明智光秀織田信長。光秀の「秀才」はわかりやすいが、信長を知ったのはまだ「うつけ者」と周囲から呼ばれていたころ。それを一度の出会いで見向く能力は、自分が信長と同じ「中世の破壊者」と感じ取ったからか

 初読は中学生。教科書ではわからない「歴史の機微」を感じさせながら、物語は後半に続いていく。

 

*こちらのマンガは本作品の人物像と重なる、エネルギーに満ちた道三像でした