小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

6 白昼の迷路 三好 徹 (1986)

*お騒がせしましたが、「シレっと」再開させていただきます!

 

   *Amazonより

 

【あらすじ】

 大手電機メーカー、日成電産の社員がおとり捜査によって産業スパイ容疑でFBIに逮捕された。アメリカ側は組織ぐるみの犯行と見なし、会社に巨額の賠償金を求める姿勢を見せる。対して日成電産は総務部次長の立見史郎がアメリカに飛んで、訴訟に対応する困難な任務を任されてアメリカに飛ぶ。

 逮捕された4人のうち1人、技術者の鬼頭は、立見の高校時代からの親友で、また立見が恋人だった雅子を妻にしていた。日米間にある「迷路」の中に迷い込んでしまった企業と社員が翻弄される姿を描く。

 

【感想】

 1981年、IBMは「互換機を作りにくくした」新しいメインフレームのコンピュータを発表した。当時日本のコンピュータシェアは国産が優位に立っていたが、海外ではIBMの独壇場。互換機メーカーとしては、IBMの「互換機を作りにくくした」コンピュータの概要を知ることは、今後のハード・ソフトの販売戦略において死活問題であった。

 日立は新しいコンピュータに関する技術文書を入手する。一方、かねてから日立と取引があった会社から売り込みがあった。日立は既に入手済みの資料であり、「他にもあるのなら購入する」意向を見せる。その情報がIBMに流れ、FBIと協力しておとり捜査が進行する。元々売り込んだ情報であり、その時点で既に「おとり」があったと思われるが、どうか。いずれにせよ、1982年日立と三菱電機の社員が逮捕されるという衝撃的なニュースが報道される。

  

 

 IBMスパイ事件で「被害を被った」日立と三菱電機は裁判を通じてIBMの「最恵国待遇」を認める秘密協定を結ばされる。そして富士通も訴えられる怖れがあったため、同様の協定締結を余儀なくされる。ちなみに日本でもう一つのコンピュータのメーカーである日本電機(NEC)は、IBM陣営とは言えPC8000シリーズから98シリーズと名機を開発して、ソフトに互換性のない独自路線を走り、個人ユーザー(私)は往生したもの。「Windows95」もNEC用は別に作らなければならず、「96」になってしまうとも言われた。個人レベルで互換性のない象徴でもあり、今は昔の物語である。

 

   

  *一世を風靡した、NECの98シリーズ(ウィキペディアより)

 

 当時は日米貿易摩擦が過熱してきた頃。繊維から始まり、鉄鋼、自動車、家電、そして半導体と次々と日本がアメリカ市場を「支配」し、更には映画産業やロックフェラーセンターを購入し、「アメリカの魂を買った」とまで言われる。そんな中で起きた産業スパイ事件。主人公の立見は、民主主義の国アメリカに対して、裁判も「フェア」であることを期待するが、これは余りにも甘い。アメリカ・ファースト」主義の国民感情の中、当時日本企業はまるで生贄の立場である。これは「東京裁判」のように、戦勝国が勝利を高らかに宣言する舞台。その主役の座は、アメリカの「覇者」、IBMが相応しい。

 主人公の立見は総務部次長職。ゴルフ上の風呂場で、総会屋の背中を流している場面から物語は始まるが、こちらも当時はまだ一般的な光景。日成電産は技術第一主義で、文系の社員は最高でも副社長にしかなれない不文律を何度か描き、出世を意識しつつ後々生きる伏線としている。元恋人の雅子を中心とした、独身の立見と逮捕された夫・鬼頭の微妙な三角関係が影を落としながらも、立見は会社の一員として、アメリカで訴訟対応に奔走する。

 事件の真相は藪の中。本作品は最終的に想像力で飛躍させている。「黒幕」の存在を匂わせて、鬼頭もそして立見も犠牲になる。国際的な事件を題材にアメリカの訴訟問題も描いた本作品だが、その最後は極めて日本的な企業の論理で幕引きをしている

 

   

  *問題となったIBMの308X(ウィキペディアより)

 

5 IBMを震え上がらせた男 柏原 久 (1986)

 かんき出版(Amazonより)



【あらすじと感想】

 池田敏雄が入社してすぐの1947年の秋、富士通では電話機のダイヤルの作動にトラブルが起きる問題が発生した。池田は約1年をかけて、力学の基本である運動方程式を立てるところから始まる徹底した解析を行い、原因を突き止める。

 1954年には日本初のリレー式計算機「FACOM 100」を開発し、真空管を使った計算機よりも速度は遅いが、安定して寿命が長く、ノーベル賞受賞者湯川秀樹が「人手では2年はかかる計算を3日で解いた」と高く評価した(現在ではものの数秒で計算できるという)。

  *池田敏雄とFACOM100

 

 1964年にコンピュータ業界のガリバー、IBMはMSI(集積回路)を搭載する、全てのシリーズでアーキテクチャ(互換性)を持つSystem/360を開発する。これによって日本のコンピュータ業界も影響を受け、富士通もそれまでの独自路線から変更を余儀なくされ、IBM互換機を制作する必要に迫られた。時にIBMで「その」System / 360を設計した天才肌のアムダールは、IBM上層部と対立し、1969年に独立して富士通が支援することになった。

 但し余りにも天才肌のアムダールは細部の設計にこだわり、開発が遅れに遅れ、資金不足が顕著になる。池田はその調整に追われ、日米間を往復することになるが、その過激なスケジュールに耐え切れず、1974年11月、羽田空港くも膜下出血により倒れて、意識不明のまま亡くなる。享年51歳。

  池田敏雄とアムダール

 

 1970年に富士通は日本のコンピュータメーカーでシェア1位となったが、池田の死後1週間後に発売されたFACOM M-190富士通初のIBM互換機。集積回路を採用した超大型機で当時、世界最大・最速を誇り、日本のシェアを席巻し、1979年にはIBMも抜いてシェア1位になる。

 子供の頃から数学に秀でていたが、背が高くバスケットボール部に誘われ、高校時代は全国優勝を成し遂げる。柔道も2段のスポーツマン。囲碁も玄人はだしで新しいルールを研究している。音楽にも造詣が深く、ベートーベンの同じ曲を、演奏家別に聞き分けて楽しんでいた。

 池田は何かアイデアを考え始めると、職場・自宅のほか、同僚の家でもひたすら考え続けたという。ついには出社することさえ忘れ、夕方になって突然会社にやってきて、今度は会社から帰らずに数日考え続けたというエピソードもある。池田のような天才は現代では現れないと言われるが、池田の才能を生かす組織が現在の日本にあるだろうか。池田が在籍していた当時の富士通にはこうした奇行を受け入れる社風が存在し、池田の天才的能力を生かせるだけのメンバーが揃っていた。

  *FACOM M-190

 

 本作品を読んだときは、その人間像と活躍内容に鳥肌が立ったことを覚えている。余りにも鮮烈で短い、されど大きなものを成し遂げた人生。その後池田敏雄をテーマとして、田原総一朗がノンフィクションで上梓し、「プロジェクトX」で放映される。

 その遺伝子は次世代にも継承された。国家プロジェクトとして富士通理化学研究所で共同開発された「」は2012年に完成、一時期「2位じゃダメなんですか」と言われたが世界一を目指し、その性能は世界で認められる。そしてその後継機種「富嶽」で名実ともの世界一を奪取することになる。彼ら技術者の中には、生まれたときには既に亡くなっている池田の業績と話題が刷り込まれていた。

 池田敏雄の社葬のおり、経団連記者クラブから是非にと弔辞の申し入れがあった。異例ではあるが、池田敏雄を慕う記者の代表がその死を悼んで読んだ。そのなかで代表した記者は、「天馬空を行くがごとき活躍」と二回言って思わず絶句、その後の言葉が続かなかったという

 

田原総一朗が描いた池田敏雄 (写真は富士通のHPから)

 

 

 

4 湖底の光芒 松本 清張 (1963)

【あらすじ】

 遠沢加須子は、中部光学という夫の遺したレンズ製造会社を長野県の諏訪で経営している美貌の未亡人。親会社の倒産で苦境にたった時、ハイランド光学の弓島専務は加須子に好条件の取引を申し出る。加須子にのびる欲望の影。そこに亡き夫の妹、多摩子が現れて、事態は急展開を遂げる。湖底に沈むレンズは親会社の横暴に泣く下請会社の悲哀を表わす。

 

【感想】

 IBM、パナソニック、SONYと取り上げたあと、ちょっと「味変」して、ミステリー仕立ての小説を。

 かつて東洋のスイスと呼ばれた、長野県諏訪地域。昔は製糸業が盛んで、「ああ野麦峠」の舞台ともなったが、戦前の世界恐慌などで製糸業が衰退する。しかし戦争中に企業が疎開してきた事情と、気候と水資源などに恵まれ精密機械製造に適している土地柄から、セイコーが工場を建設して一大精密機械地域として発展することになる(この辺の事情は意外にも横溝正史犬神家の一族」が詳しい)。

 但しそこでも「下請け」の悲哀がある。親会社の無理なコストの要求に苦しみ、注文した製品が一方的に規格変更になるなどの「下請けいじめ」があった。せっかく製造し不要になったレンズは、「つぶしが効かない商品」なので廃棄処分するしかない。本来は諏訪湖に捨てるのは違法だが、他に廃棄する場所もなく、諏訪湖に沈められていく。松本清張は、諏訪という美しい光景と、親会社に泣かされるガラスレンズ工場の対象を創作の発端と述べている。その2つが交錯する場所が「湖底の光芒(レンズ)」。

 

 

 本作品の発刊は1983年だが、当初の連載は1963年~1964年と半世紀以上も前。

 物語は、加須子の親会社である発注元が倒産するところから始まる。最初の場面は債権者会議で、下請けたちは悲鳴をあげる。そこへすべての債権を額面の4分の1で買い取るという男が現われる。飛びついた下請け企業は罠にひっかかり、後に文字通り命を絶たれる。ここまでの設定をするかとも思うが、これは下請けいじめというよりも、清水一行の「虚業集団」の世界になる。

 

nmukkun.hatenablog.com

*企業を「しゃぶりつくす」詐欺を取り扱った小説の金字塔。

 

 そんな中、加須子はハイランド光学の弓島専務から異様に有利な契約を持ちかけられた。弓島は隙を見ては加須子の手を握って口説こうとする。加須子は亡き夫の遺した工場を慎ましくも守ろうとする、けなげで礼儀正しく慎ましい女性。対して弓島は怜悧で傲慢で、欲深い男。これは昭和の昼メロ、というか、時代劇にも出てきそうな設定で、抜群の安定感(?)。但しそこに加須子の義妹、多摩子が「しゃしゃり出て」弓島専務にアプローチして、物語はますます「混迷」する。

 多摩子が想う弓島が、加須子に向いているのを知って激しく嫉妬して、行動が余りにもエスカレートする。会社に今まで見向きもしなかったのに、弓島が狙っていると知ると急に自分が経営者になると言い出し、加須子を追い出そうする。多摩子の愛憎劇はどんどんとエスカレートし、加須子を「ハサミ」でケガさせ、病院送りにするまでに至る。ここまで来ると、多摩子はなぜもっと早く弓島に興味を持たなかったのか、とさえ思ってしまう。

 それもこれも加須子の存在あってのこととはわかるが、「何とか」とハサミは使いようで、そのタイミングは余りにも悪い。まあ「何とか」とはそういうものだろう。そして物語は加須子から弓島へと視点が移り、「わるいやつら」はそれぞれの結末を迎えて、加須子は取り残される形で終わる。

 松本清張はミステリー作家としての存在が大きいが、以前「砂の器」で述べた通り、創作の原点は「書きたいものを書く」気持ちに尽きていたと感じる。その方向は日本社会の矛盾点に焦点を当てて、容赦なく暴いた。本作品は風光明媚な観光地でもある土地で起こる、下請け企業の悲劇を描いた。そしてその目は、産業廃棄物の問題も含めて、半世紀前から現在の、そして未来の矛盾点を見据えている

 

nmukkun.hatenablog.com

*先に取り上げた、松本清張の傑作です。