ここから「藤沢周平 市井(しせい)に寄り添う20選」を、【士道物】【市井物】【歴史物】に分けてお送りします。
![暗殺の年輪 (文春文庫) [ 藤沢 周平 ] 暗殺の年輪 (文春文庫) [ 藤沢 周平 ]](https://thumbnail.image.rakuten.co.jp/@0_mall/book/cabinet/2457/9784167192457_1_3.jpg?_ex=128x128)
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1 黒い縄
材木商の娘で器量よしのおしのは、嫁ぎ先で姑からの異常な嫉妬を受けて、3ケ月で離縁し実家に戻っている。ある日おしのは、幼友達の宗次郎と出会ったことを母親に話していると、庭師の地兵衛が口を挟んだ。「その男なら、いま江戸にいねえ筈です」と。
地兵衛は昔から家に出入りしていたが、長年岡っ引を務め、2年前に十手を返して息子の植木屋を手伝っている 。後日おしのは地兵衛に事情を尋ねると、宗次郎は3年前、人の妾だった若い女を殺して、逃げ回っている男だ、と応えた。
ストーリーは「捕り物」が主体なのだが、おしのの元の亭主、そして幼なじみの宗次郎への女の「情念」が、捕り物の作品を忘れさせる。
2 暗殺の年輪
父は葛西馨之助が3歳の時に切腹して果てた。藩の重臣を暗殺して失敗したのが原因らしい。だが秘匿事項とされているためか、誰を殺害しようとしたのか、詳しいことはわからない。
馨之助が青年に成長した時、藩政を立て直した重臣を暗殺するよう命じられる。そしてその場の1人が言う。「これが、女の臀(しり)一つで命拾いをしたとかいう倅か。よう育った」
その場では命令を断る馨之助。だが母の噂を確かめると、どうやら不義の相手は今回暗殺を命じられた相手らしい。母を問い質すと、間もなく自害してしまう。その姿を見た馨之助は、暗殺の命を引き受ける決意する。
直木賞受賞作。若者の葛藤と決断を描くが、背景に武家社会の陰湿で不合理な構造が描かれている。これからの創作の方向性を感じさせる作品。
3 ただ一撃
藩主の御前試合で、相手を完膚なきまでに倒す強さを発揮する剣豪に対して、試合を命じられた隠居の範兵衛。今は息子夫婦に厄介になっている身分で、良く尽くしてくれる嫁の三緒との世間話が一番の楽しみという生活をしている。試合の話を聞いて、身体の中に秘められていた「野生」が甦る。
そして修行に出てからの噂、修行からかえってからの義父の凄惨な姿を見て、三緒は舅が試合に間違いなく勝つと、童女のように信じる。野生を取り戻して、試合を翌日に控えた舅に対して、三緒は尽くす。そして試合当日の朝、三緒は自害した。そんな姿を見ても眉1つ動かさず、範兵衛は試合に向かう。
大坂の陣が終って、武士が「戦人」から「役人」に変わろうとしていた時代を描いている。
身体の底に「戦人」の火が残っていた父と、城仕えの毎日を繰り返す息子。そしてそれを見守る息子の嫁、三緒。この話は、藤沢周平以外、誰にも描けないだろう。
*範兵衛が修業した小真木原(山形新聞より)
4 溟(くら)い海
葛飾北斎は「富嶽三十六景」をものにして、70歳を過ぎて世間の評判も定まったかに見えたが、安藤広重が描いた浮世絵版画「東海道五十三次」の評判に北斎も気になる。門人が見た感想は、「富嶽三十六景」のような前人未踏の画とは言えない単なる風景画、としながらも、何故か心に残る印象を受ける、と言う。北斎が見ると、確かに平凡な風景画に見えるが、何かが違う。そして「蒲原」を見て納得する。「広重は、無数にある風景の中から、人間の哀感が息づく風景を、つまり人生の一部をもぎとる」。北斎は敗北感に打ちひしがれて、暴力を使ってその前途を断とうとする。
しかし直接会ったときは傲岸に見えた広重の、「打ちひしがれた」顔を見て留まる。北斎は蒼黒くうねる海を描いたが、それらの線を塗りつぶし、漠とした暗い者、深く溟い海のようなものを書き続ける。
88歳で亡くなるまで、画とはなんぞやと考え、研究し続けた葛飾北斎を主人公とした物語。藤沢周平は北斎が「溟海(めいかい)」を描くところで作品を終えている。北斎の心象風景、私は後輩や新人に対しても「ムキ」になってライバル心をむき出しにした手塚治虫の挿話を思い出した。
この作品で世に出た、新人賞受賞作。その後の作風と違ったテイストを感じさせるが、当時はなかなか作品が認められずに生活も苦労を重ねて、作品も陰惨なものしか書かけなかったという。第1短篇集となる本作品の中の、象徴となっている。
5 囮(おとり)
版画師の甲吉は、妹の治療費を捻出するために岡っ引の下僕を務めるが、この稼業は誰からも嫌われる立場。ある日人を刺したヤクザ者が江戸に舞い戻ってくる、という情報が入る。以前の情婦の元に戻ると読んで、甲吉は夕刻の時間、その情婦の家を見張ることになった。その女おふみは、一定時間囮として空き地に立つ。それを見張る甲吉は、しだいに2人で共有する空間が貴重に思えてくる。
そのおふみの処に、ヤクザ者を探す男が現われて、おふみに暴力を振るう。おふみを助けるために皆から嫌われる証の十手を見せてしまう。正体がバレた甲吉は立ち去ろうとするが、おふみが声をかける。おふみの境遇に同情する甲吉。そして身体を預けるおふみ。また改めて会おうと約束して別れる。
約束の日、おふみを待つ間甲吉はおふみとの将来を考える。しかしおふみは来ない。甲吉の心の底に1つの疑惑が湧き上がる。
この作品も読み手に重い余韻を残す。終盤に「まだ閉ざされたままだった」という文を重ねて使って読み手の心に強く訴える、女性の情念を描いた名作。そして読み終わったあと、タイトルを見直して、その意味を考えさせる。
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