特別お題「わたしの推し」
2022年1月10日に水島新司さんが亡くなりました。水島新司さんが活躍を始めた1970年代は、少年にとって野球一色でしたが、「巨人の星」とは一線を画したストーリーで野球少年たちを魅了し、その役割はサッカー界における「キャプテン翼」と匹敵すると思います。その後のプロ野球人気、特に当時人気が無かったパ・リーグの人気高揚に尽力しました。
個人的には「あぶさん」も一気読みしましたが、やはり嵌まったのは「ドカベン」。中学の柔道部時代から話は始まって、そのキャラクターは数え切れないほど。その中でも特別な「明訓四天王+1(山田、里中、岩鬼、殿馬、微笑)」を除いて、私が好きなキャラクター10選を、水島新司先生追悼の意も込めて取り上げさせていただきます。
(なお、画像は全て水島プロダクションによるものです)
10 木下 次郎(わびすけ)
元々は中学の柔道部編のキャラで、山田・岩鬼・殿馬らと同じ鷹丘中学卒。柔道部の主将で、黒帯でもありますが、周りの強いキャラに囲まれてフツーに見えます。
高校に行ってから野球部に入り、群馬県・赤城山高校の遊撃手兼投手の「両投」投手。どちらの腕で投げるか分からないという変則投球フォームで、対戦した山田を翻弄します。そして人間的にも成長していて、中学とは違いしっかりとした「芯」が感じられます。
*中学ではこんな感じでした。
9 高代 智秋
明訓高校野球部で山田世代の1年後輩。里中の後のエース、渚と同級生。
山田世代と比べると甘さは拭えません。土井垣監督から投手に見切られて内野手に転向させられます。
鮮やかな出番は少ないですが、「大甲子園」の決勝、紫義塾戦で先輩・岩鬼に言われて「勝つ!」と円陣で気合いを入れたシーンは印象深いものがあります。
なお明訓高校の遊撃手は先輩に石毛がいて、当時の西武の石毛遊撃手・日本ハム高代遊撃手、そして南海の定岡「智秋」遊撃手と重なるキャラになっています。
*このコマは「大甲子園」からですが、ベストと思っています。
8 影丸 隼人
中学時代は「わびすけ」と同じく柔道の選手で、山田や岩鬼のライバルでした。得意技はバックドロップ投げ(?)。
高校進学後は千葉県・クリーンハイスクールの投手として、全身を使う背負い投げ投法で威力ある速球を投げ、活躍します。関東大会準決勝で対戦し、捕手の代わりに本塁ブロックに入り、走者の岩鬼に「因縁の」バックドロップで岩鬼は気絶したが、ホームベースを踏んだあとに影丸がボールをこぼし、サヨナラとなってしまいます。
*その後岩鬼と因縁になったバックドロップ投げ
7 中(あたる)二美夫
アマチュア時代から親交があった江川卓をモデルに、父・江川二美夫と、弟・江川中の名前を穫って「江川学院」のエースとした設定。ノーヒットノーランを達成して注目を浴びて明訓高校と対戦しますが、山田との対戦5打席全て敬遠を行い、大ブーイングを受けるという、後の星陵高校・松井選手を彷彿とさせるエピソードを作りました。後日、中は肩を痛めていたため苦渋の決断だったと語っています。
ちなみに江川卓の弟中は、傑出した才能を持つ兄の影響か、父から東大を期待されるも一橋大に進学し、役人を期待されるも電電公社(現NTT)に就職して、このキャラと同様に「期待をかわす」性格を持っていたようで、興味深く思いました。その後「ファミリーヒストリー」で紹介されて、NTT関連会社の監査役にまで出世したことがわかりました。
6 緒方 勉
いわき東高校のエース。正確なコントロールと、ベースの約80センチ手前で落ちる超高校級のフォークボールを武器にしています。そしてそのチームカラーは、昭和の高校野球を代表したようです。
山田たちが1年時、病気で倒れた出稼ぎの父親の代わりに、働きながら神奈川大会予選を観戦するキャラクター「出かせぎくん」として登場します。地元の炭鉱の廃鉱が決定し、チームメイトと離れ離れになる思いを糧に、夏の甲子園出場を決め、決勝まで進み明訓高校と対戦します。
昭和46年の夏の甲子園で、神奈川の桐蔭高校と福島の磐城高校が決勝戦を繰り広げました。炭鉱の廃鉱や出稼ぎなど当時の世相も反映して、なぜか平成最後の甲子園を席巻した金足農業を思い出させます。
*このようなコマ割りは、不知火を始め時々登場します。
5 武蔵坊 数馬
明訓高校に唯一の黒星をつけた、岩手・弁慶高校の主砲。山伏の修行で培った神通力で、岩鬼の母の病気や、中二美夫の肩を治す奇跡を起こします。野球でもボールを引き寄せる力を持ち、敬遠のボールを打ったり、ホームラン級の打球を捕球するなどの力を持ちます。明訓高校戦では曲者・殿馬を最後まで警戒して、最後の場面でダブルプレーを狙った送球を額で防ぎ、「武蔵坊弁慶の立ち往生」を再現し、「義経の八艘跳び」を呼び起こしてサヨナラ勝ちを演出しました。
その後は後遺症に苦しみますが、山田と岩鬼の友情で奇跡的に復活します。ただし野球に復帰はしないまま終わり、明訓高校に唯一勝ったチームとして相応しい存在感を示し、その役割を終えました。
*弁慶の立ち往生
4 土門 剛介
横浜学院高校のエースで四番。再起不能といわれる事故に遭うものの、見事復帰して2年秋の大会から登場します。その剛速球は「超剛球」と呼ばれ、捕手や送球を受ける野手が骨折するほどの威力だったため、試合では力をセーブして投球せざるを得ませんでした。
彼の速球を受けられる捕手として微笑三太郎が転校してくる予定でしたが、手違いによりライバルの明訓高校に転校してしまいます。しかしいじめられっ子の谷津吾朗が土門のボールを受け、思い通りの投球で明訓高校に立ちはだかります。山田は見事に抑えますが、皮肉なことに微笑に逆転満塁サヨナラホームランを打たれ敗戦します。。
その体格と雰囲気はまさに「大魔神」。プロ野球編ではベイスターズに入団し、佐々木と投手陣の双璧となったのは、「イチロー・殿馬の1、2番コンビ」と同じ位、誰もが期待した絵柄でした。
3 犬飼 小次郎
高知土佐丸高校のエースで、通称「鳴門の牙」。鳴門は徳島県だろ! とのツッコミも見受けられますが、連載当時の甲子園予選は徳島・高知で1校選出だったため、私個人ではOKです。実家は土佐闘犬を育てて「殺人野球」と評される土佐丸高校の主将・監督ですが(少子化の時代では生徒が集らないゾ)、山田とは「爽やかな」ライバル関係を続けています。
また男気にも溢れ、プロに入ってからは、渡辺久信と延長戦まで投げ合い、同僚の岩鬼に本塁打王と穫らせるために山田を封じこめました。ちなみにドカベンが打ったホームランで一番印象に残っているのが、1年夏の甲子園で犬飼小次郎から打った、顎を引いたダウンスイングの見事なフォームで打ったホームランです。
*高野連が黙っていない(?)土佐丸高校。弁慶高校の入場シーンも合わせて。
2 不知火 守
神奈川県・白新高校のエースで、明訓高校最大のライバル。ちなみに作者が新潟県の白新中学出身で、新潟明訓高校に入れなかったために明訓高校を設定し、自分の出身校をライバルとしたのは有名な話。明訓高校と神奈川県予選で5回戦うも、ついに勝つ事が出来ませんでした(関東大会に出場して、春の甲子園には行けたと思うけど・・・・)。それにしても、点の取られ方がルールブックの盲点をつかれるなど、不運な時が多くなっています。
高校生離れした速球と高速フォーク、そして「ハエボール」と呼ばれた超スローボールを持ちます。左目が見えないため、右目だけが見えるようにつばの割れた帽子を被っていますが、その後父親からの角膜移植手術を受け、高校2年からは両目とも通常の視力を回復するも、トレードマークとしてプロになってからも、つばの割れた帽子を被り続けます。プロに入った初戦、土井垣とバッテリーを組んで、ノーヒットノーランを達成します。
1 土井垣 将
明訓高校で山田世代より2年上の先輩。山田が新入生の時は同じ捕手として、昔ながらの捕手の体型もあり疎んじていましたが、次第にその能力を認め、自分は1塁に移り気遣いをみせるようになります。3年で甲子園優勝したあと、山田世代に手応えを感じて徳川監督の後の監督に就任、ドラフト1位で日本ハムに指名されますが、明訓高校が敗れるまで入団はしないと断ります。
しかし翌年夏の甲子園で弁慶高校に敗れると、潔く翌日日ハムの大沢監督(元祖「喝!」の人)を訪れて、頭を下げて入団を受け入れる男気のある人物。日本ハムではポジションは捕手に戻り、新人王を獲得、その後も指導者としての道を歩み、山田にとってよき先輩、よき指導者を演じました。
*大沢監督も神奈川県出身で南海出身です。
球道くんや一球さんは「大甲子園」組なので外し、他に選手以外でも、徳川監督やドカベンの妹で里中と結婚するサチ子、岩鬼の父も良い味を出しているし・・・・
きりがないほどの登場人物たち。改めて合掌。