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【あらすじ】
1857年、仙台藩支藩の水沢(岩手県)に後藤家の長男として生まれた後藤新平は、廃藩置県後に新政府から派遣された、熊本出身で横井小楠門下の安場保和に認められ、後の海軍大将・斎藤実とともに県庁に小僧として雇われる。能力はあるが喧嘩が絶えず水沢でくすぶっていると、福島県令となった安場は新平を須賀川医学校に入学させる。
志望は政治家のためここでも反発するが、次第に生体を主とする論理的な考えの虜になり、勉強に打ち込んでいく。安場が愛知県令に異動すると愛知県医学校に就職し、24歳で学校長兼病院長となる。愛知では色男の新平に艶聞が絶えず、芸者遊びなどに嵌まって「落胤」を生むことに。昔からの許嫁もいたが、新平は決められた結婚に抵抗して直ぐ離縁となり、かねてから憧れていた安場の次女・和子を妻にもらう。
医者だけでなく学校経営や健康管理の施策なども評価を受け、内務省衛生局に入ると官僚として行政に従事、1892年には内務省衛生局長に就任した。しかし華族相馬家の騒動(相馬事件)に介入して新平は収監、結局無罪となるも衛生局長は非職となり、順調だったキャリアは頓挫する。
無聊をかこつ中、内務省の上司からの推薦で、日清戦争で帰還兵する大量の兵士を、短期間で検疫をする任務を任される。その巧みな手腕が陸軍次官児玉源太郎の目に留まり、1898年児玉が台湾総督となると、後藤を補佐役である民政局長に抜擢する。そこで新平は現地の状況を知悉した上で施政を行ない、地元の反発を抑え込んで、困難だった台湾統治に成功する。
児玉源太郎がその後陸軍大臣となり、日露戦争に参謀本部次長として従軍した後も、新平は台湾統治の責任者として残るが、その児玉は急死してしまう。生前の児玉の推薦で新平は南満洲鉄道の初代総裁に就任し、日露戦争で得た権益を統治する役目を担った。新平は世界進出を画策していたアメリカを封じ込めようと、アジア諸国及びロシアと結束する役割を伊藤博文に託した。同意した伊藤だが、その行動の途中、ハルピンで暗殺されてしまう。
長州閥で陸軍出身の桂太郎の下で、逓信大臣を拝命して台閣に列する。但しその頃は政党の勢いが伸張し、新平は政党に対峙する立場になった。また桂もその後間もなく死んでしまい、児玉、伊藤、桂と後藤が頼りにしていた長州閥の要人が次々と亡くなる不運に見舞われる。途中市政が荒れた東京市長を求められ、「大風呂敷」と呼ばれた帝都改造計画を立案するが、その予算は国の経費の15億の半分を超える8億。賛同者はいたが大きな動きにならず葬り去られてしまう。
しかし第二次山本内閣で内務大臣に就任すると、その直前に発生した関東大震災を受け手、練り直して帝都復興計画をぶち上げる。予算は更に大きく13億円。反対運動は凄まじく、結局予算は半分以下に削り取られた。その後講演に向かう列車で脳溢血に倒れ、そのまま不帰の客となった。享年71歳。
【感想】
岩手県出身の政治家が続く。子供の頃居候先で喧嘩した「賊軍」の下級武士出身の後藤新平。その腕白振りは「栴檀は双葉より芳し」。同郷で海軍から総理大臣となった「人格者」斎藤実と対をなす。新平が上手く立ち回って先に玄関先を掃除するのに対し、齋藤は皆が遠慮する便所掃除を黙々と行なうのも、それぞれの性格を描いた一風景になっている。
医者から政治家へ。当初はその進路を不思議に思っていたが、本を読んでいくと自然な流れに感じられる。愛知県医学校の時に岐阜で板垣退助が暴漢に刺される事件が発生し、後藤が診察した。板垣退助との邂逅は偶然だが、その縁を生かすわけでもない。求められたところで働くと、新しい道が開けていく印象で、それがどんどんと大きくなって行く。経歴も見てのとおり一貫性は感じられない。
しかし後藤新平はその出世欲、権勢欲を隠さない。目の前の出世を目指し、大臣に、そして総理へと野心のままに突き進む。仕えた長州の要人たちが次々と亡くなり、運が無かったと思えるが、派手で出来る男に対しては、政敵も周囲を取り囲む。長州閥に取り込まれたために護憲運動に対して妨害し、元老となる西園寺公望と敵対する立場となった。対して右翼だけでなく左翼とも万遍なく付き合う懐の深さは、総理という「頂き」を目指す上では、周囲から不安を覚えさせ、そして反発を巻き起こすことになる。
北里柴三郎や新渡戸稲造などに力を貸して、ボーイスカウトなどで人材発掘に努めた反面、台湾経営でのアヘン利権や鈴木商店との繋がりで、金権の噂が立ち消えない。国民の人気とは裏腹に、大臣には至るも、遂に総理の印綬を帯びるには手が届かなかった。それは子供の頃便所掃除を「総理」斎藤実に押しつけた性格のなせる業か。
*後藤新平から便所掃除を押しつけられた(?)、幼馴染みの「宰相」斎藤実(国立国会図書館)
亡くなる前に「金を残して死ぬ者は下だ。仕事を残して死ぬ者は中だ。人を残して死ぬ者は上だ」と語った後藤新平。誰もが頼りにして、その期待に応える技量を有する強面の男。但し総理の印綬を受けるには、生まれるのが10年遅かったか、若しくは100年早かった。
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