小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

1-1 日御子 ① 帚木 蓬生 (2012)

【あらすじ 第1部「朝貢」 灰、庄、針の物語】

 漢から渡来した使譚(通訳)のあずみ(住む国ごとに、安住、阿潜、安澄などと書かれる)一族。倭国の様々な国に分かれて住むも、代ごとに、万物全てを分類できる五行、すなわち「」に由来する名を付けている。また使譚に語り継がれる3つの掟を信奉する。

  1. 人を裏切らない 

  2.人を恨まず戦いを挑まない 

  3.よい習慣は才能を超える  

 かつて那国王に仕えた使譚、安住灰(火)は、孫の針(金)に回顧する。灰は那国王の使いで当時建国された後漢朝貢のため渡ることになった。後漢に献上する生口(奴隷)10人を連れて、朝鮮半島に置かれた楽浪郡に上陸し、そこから長い陸路で漢の都洛陽に辿り着く。漢を再興した光武帝は、海を渡ってはるばると朝貢に来たことに喜び、また灰の見事な通訳を褒め、「漢委奴国王」の金印を与える。

 

 那国は国王自らが斬首されることで国民を救い、の一族は伊那国王に仕えることになった。伊那国王は漢への朝貢を願望していて、が漢への朝貢を務めたことを知っていた。但し灰は間もなく亡くなり、伊那国王は孫のが30歳になったら朝貢の使譚を務めるように命じ、50年前に祖父が進んだ道を辿る。

 

 160人の生口を連れてきたことでらは漢から歓待された。また50年ほど前に朝貢に来た際の祖父の働きが未だに覚えられていて、も賞賛を受ける。その中で灰に連れられた生口の1人が生存していて、その時の祖父から受けた恩と、使譚に伝わる3つの掟を守ることで今まで苦難に耐えることができたと感謝される。一行は安帝から伊那国王に「漢伊那委国王」の金印を授かり、1年を経て帰国すると、針は父庄(土)の死と、長男沢(水)の誕生を同時に知る。

 

 針は長男と次男に使譚として必要な読み書きを教える。長女の江女は器用でいつの間にか言葉を覚えていた。そんな江女に、弥摩大国の使譚である安潜の息子へ嫁入りが申し込まれる。江女は嫁入りの日、から使譚あずみ一族に伝承される3つの掟を伝えられて、弥摩大国に向かう。そしては息子のに祖父が、そして「漢委奴国王」の金印が眠る伽那山に埋めてくれと言い残して、死を迎える。

  

 *「漢委奴国王」の金印(ウィキペディアより)

 

【第1部の感想】

 最初は本のタイトルは「日御子」だが、第1部で約半分の分量を費やす中、まだ日御子は登場しない。よって邪馬台国の女王卑弥呼の物語と思って読むと期待が裏切られるので注意が必要。しかし使譚(通釈)を生業とする「あずみ」と呼ばれる一族を、9代250年に渡り描いた悠久の物語。その中に金印や倭国大乱、そして邪馬台国の存亡などを組み込んだ、長大なスケールに圧倒される。

 まず使譚(通訳)という職業を専門とする一族を主人公としたのが秀逸。使譚が行なう役割から外交の前面に出て、また武力で争う前に外交で解決しようとする職業の特性を生かして、使譚の「3つの掟」を定め、それが延々と伝わっていく。そしてその掟は「あずみ一族」だけでなく、さまざまなところで生きる糧となり、そして政治を動かす心となっていく。

 第1部では使譚の掟が、祖父が歩んだ道を孫が50年を隔てて辿る灯となり、そして50年前に祖父と共に生口として漢に渡った倭人たちの生きる支えとなったことが、50年後に明かされる。半世紀を経て、思いも寄らなかった「引き継がれる心」は、人々に感動を呼び、これだけでも本作品を成立させる。

 【あらすじ】で、「生口」をあえて「奴隷」と説明したが、本作品では生口を明るく描いている。身よりのない者に新たな食べる糧を与えるためのものとして、まるで「集団就職」のようなノリで描かれている集団就職でも実際に仕事に就くと大変な事はあったと思うが、それでも漢の皇宮に仕えるのは恵まれた仕事として羨ましがられるのは、ちょっと脚色しすぎの印象を受けるが、本作品では相応しい扱いになっている。

 また後漢の皇帝たちが倭の使節に対して「慈悲に富んだ」対応をしているのも、かなりの「演出」を感じる。聖徳太子の遣隋使ではないが、対等外交は全く望むべくもないほど彼我の力の差は大きい。中国王朝は代々自らを「中華」と称して、周辺の「蛮族」を「東夷・北狄西戎・南蛮」との蔑称で読んでいた。倭に対する記録を「後漢書東夷伝」と名付けたように、一段も二段も下に見ている。魏志倭人伝で倭(矮小を連想させる倭)と使い、女王の名を「卑弥呼」と、決して自らは決してつけない文字を当て字にして、「公文書」に記載する。それを本作品では「日御子」と、日本名に相応しい表記に変えている(わたしは「日巫女」と思うが、本作品では巫女は別にいるので避けたと思われる)。

 そして国名も同様に、魏志倭人伝にある「奴国」を「那国」に、「狗奴国」を「求奈国」に、そして「邪馬台国」を「弥摩大国」に、日本語に会わせて(但し中国語の音は全く無視して)表記を変更して、本作品の雰囲気に合わせている。これは決して邪馬台国論争の影響ではなく、本作品の世界観に基づくもの。

 

 第1部だけで長くなってしまったので、第2部、第3部は次回に続けます。最後に本の挿絵にある、倭国「想像図」を挿入します。ちょうど吉野ヶ里遺跡の発掘調査も重なり、地理的に見ても、文字的に見ても、色々な考えが浮かんできます。