小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

15 金縁の鼻眼鏡 (帰還)

【あらすじ】

 ヨックスリー・オールド・プレースのコーラム教授の屋敷で、秘書のウィロビー・スミス青年が首をナイフで刺されて死亡した。スミス青年は死の間際に「先生、あの女です……」という言葉を残し、手には犯人のものと思われる金縁の鼻眼鏡を握りしめていた。ホームズはその鼻眼鏡を見ただけで持ち主の特徴を言い当て、ホプキンス刑事を驚かせる。

 翌朝、ホームズたちは現場に行き、犯人が通ったと思われる草の上を観察した。そこは小道と花壇の間で、どちらに足を踏み外してもくっきりと足跡が残ってしまう場所だった。

 その後、コーラム教授の部屋を訪れたホームズは、たばこの缶を落として、床にばらまいてしまう。しかし、全員でたばこを拾い集めるうち、ホームズは事件の真相をつかんだ。

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【感想】

 エラリー・クイーンならば、この作品を広げて「ロシア眼鏡の謎」を創作したかもしれない(笑)。「青いガーネット」の帽子と同じく、1つの物からその持ち主の特徴を推理する、若き日のホームズの観察眼が甦った印象を受ける。

 足跡のない小道の推理も見事。「白銀号事件」で、犬が鳴かないことを「奇妙な行動」ととらえたホームズらしい「本来あるべきもの」を想像し、それがないことに対する不自然さとその原因を追究する推理も健在だ。

 そこから導かれる1つの結論は、それまでの舞台設定からは到底出てこないもの。「将来嘱望されている」ホプキンズ刑事が「まったくお手上げ」とホームズに相談するのも納得である。

(なお河出文庫版において、ホプキンズは「ブラック・ピーター」では警部の肩書だが、本作品では肩書は刑事。W・S・ベアリング=グールドの研究では、本作品の方が事件発生は1年半ほど早い。将来嘱望されるだけあって、1年半で出世したか?)

 この作品でもコーラム教授の悲しい過去が作品に影を落としている。犯人に対し「過去形で」素晴らしかったという教授。それを拒絶して事実を冷徹に告げ、犯行の動機を語る犯人。その背後にある人間模様は、「曲がった男」の人生を思い出させる。

 それにしても、「啓示宗教(霊感や超自然的啓示を根拠とする宗教:河出文庫の脚注より)」の教授と、虚無主義者(ニヒリスト)の犯人は、当初、どのようにして結びついたのだろうか? (関係があるような、ないような・・・・)

14 三人の学生 (帰還)

【あらすじ】

ホームズとワトソンは、他の事件のためにロンドンを離れてある大学町に滞在していた。その町にある大学の、奨学金試験の問題用紙が何者かによって書き写された。問題用紙はギリシャ語長文で、ゲラ刷り3枚にわたるもの。用務員のバニスターが部屋に鍵をかけ忘れてしまい、その間に何者かが問題用紙に触ったという。問題用紙がほうりだされているほか、窓際のテーブルには鉛筆の削りくずがあり、書き物机に3センチほどの切り傷がいくつかと粘土の小さな塊が残されていた。

 試験を受ける3人の学生は、同じ建物の2階に住むスポーツマンのギルクリスト、3階に住むインド人のダウラット・ラース、4階に住む秀才だが怠け者のマイルズ・マクラレンである。ホームズはまず用務員のバニスターに事情を聞き、それから3人の学生に話を聞く。

 翌朝、ホームズは事件の真相を解明するため、バニスターをもう一度呼ぶ。その後、試験監督を務める講師のヒルトン・ソームズに、真犯人とされる学生を呼びにやらせた。

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【感想】

 短編集「帰還」では、学校にまつわる作品が3篇もある。そして他の短篇集にでは、学校を前面に押し出した作品はない。一度思いついたら、立て続けにアイディアが沸いたのだろうか。他の二編は、事件の内容が「誘拐」と「失踪」だが、本作品は学校らしく「カンニング」を題材としている。

 大学名をはっきり書くのは「礼儀知らず」とワトスンは書いているが、容疑者の一人は運動競技で大学の代表である「ブルー」に選ばれた情報を入れているので、これは普通、オクスフォード大学ケンブリッジ大学に限定される。

 背の高さが犯人特定の一つというのはちょっと単純だが、それだけではない。またこの「事件」は、犯人の意図しないところで、第三者が証拠に手を加えて、捜査を混乱させているのが特徴。このパターンは、のちのミステリー界で手を変え品を変え、様々なバリエーションで使われることを考えると、本作品は貴重に思えてくる。そして第3者が証拠に手を加えた動機も、短編の限られた紙数のなかで、不自然なくまとめてる。

 容疑者の一人の父親が、「競馬で破産した、あの有名なサー・・・」としている。「サー」の称号を持って競馬で失敗するのは、賭け事ではなく競走馬の厩舎経営のような気がするが、「ブラック・ピーター」で出て来る失敗した銀行家の息子と似た設定。本作品の息子にも、作家ドイルは暖かい目で描いている。

 ちょっと軽いと思われる「カンニング」を題材とした物語だが、味わいは意外と深い。なお後年、エラリー・クイーンは、「ややサイズを小さくして」この作品を連想させる短編を書いている。

 

 

【コラム】 フジテレビの「ステマ」問題 (6/6追記)

 4月18日(日)の午前、ぼんやりとフジテレビの「ワイドナショー」を観ていたら、この話題を冒頭に語っていた。実はそれまでその事実を知らなかったが、話を聞いているうちに疑問が湧いてきた。

 時事ネタは「ドツボ」に嵌まりそうで、ブログでは避けるつもりでいたが、今回は「私見」をちょっと述べさせてください。

 

1 今回の出来事の概略

 ステルスマーケティング(以下、「ステマ」と略す)とは、広告と明らかにせずに、口コミで「良い商品」などと宣伝することで、場合によっては誤った情報を消費者に与える宣伝手法と言われている。ベテランブロガーの皆様は身近な話題でしょうが、昔の人間は「サクラ」などが当たり前で余り抵抗がなく、また自ら決められない性格の日本人には、「あの人が勧めているのだから」と購入を促す、効果的な宣伝方法と思われる。

 今回は(株)フジテレビジョン(以下、フジテレビと略す)社員の女性アナウンサー複数名(職業で一括りにしているが、氏名を一々書く気になれないので、ご容赦ください)が、有名美容室を利用した際、SNSなどで紹介する(もしくはされる)ことと引き換えに、美容代を無料にしてもらった出来事。それも中には回数を重ね、無料にしてもらった代金が累計百万円近くに及ぶ人もいると言われている。

 この出来事に対して、週刊文春は「ステマ」ではないかと「文春砲」を放った。

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2 当事者たちの見解

 週刊文春は今回の出来事について「ステマ」の疑いありとして報じているが、これは当然。日本は「ステマ」に対しての明確な法律がないが欧米の「厳格な」法律から見れば、「ステマ」の疑いがあると判断するのは当然。また以前にも芸能人が問題になったことも踏まえてキャッチーでもあり、世間に注目を浴びる見事なスクープとなった。

 美容室側は「ウィン・ウィンの関係だから構わないのではないか」と語っているが、この話もわからないわけではない。美容室側は店舗の営業にメリットがあると判断しての行為であり、その「経営判断」に対して否定はできない(但し、フジテレビ絡みで「ウィン・ウィン」の用語は自主規制すべき、と感じるのは既に時代遅れか?)。

 問題の女子アナ自身からはコメントはない。そして女子アナを雇用する側のフジテレビは「金銭のやり取りがないので、いわゆるステマには当たらない」との見解を表明している。また私が観たワイドナショーでは、コメンテーターの犬塚浩弁護士や長谷川まさ子芸能レポーター(この人は、政治評論家の田崎氏と一緒で、コメントが「広報」としか思えない)は、趣旨として「ステマ」を明確に判断する法律はなく、フジテレビの内規の問題と発言していた(そして本日の放送では言及されていない様子)。

 だが、本当にそんな決着でいいのだろうか。

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3 フジテレビ側の問題点

 第1に、お金の収受がなければいいのか、という問題。美容代金は1回2万円程度らしいが、何度も重ねて行い、累計で何十万円もの「利益」を受けているアナウンサーもいる。お金が動かなければいい、という理由付けは明らかに無理があり、例えば車や家でもタダで提供すれば「明示しない広告行為」をしても許されるのか、との話になってしまう。

 第2にアナウンサーという職業が「特権を享受できる」と思われる問題。一個人ならば、例えば店で写真を撮影して、店主から飾らせて欲しいと言われても、料金はそのままか、割引しても1回限りだろう。それがアナウンサーならば何回も利益を享受できるのか、という「羨望」(から嫉妬)が、当然視聴者の心に芽生えることになる。

 そしてこれが一番大きいが、会社の姿勢の問題。フジテレビは放送法で国から地上波放送の営業免許を受けている「特定地上基幹放送事業者」に該当し、一般企業にはない外資規制を受ける法人でもある。外資規制を設ける理由は、公平・中立を守るべき報道機関として、日本国の安全や主権維持に関わる業種とされているから。その外資規制を超えてしまい、親会社のフジ・メディア・ホールディングス社長が国会に参考人として呼ばれて弁明し、違反状態により厳重注意を受けたのは、つい1ヶ月ほど前の話である。

 これだけ公平・中立を求められている報道機関で、フジテレビは特定の事業主に対して、会社の「顔」と言うべきアナウンサーが会社の許可もなく(未確認だが、許可を得たとは到底思えない)「肩入れ」することを許すのか。

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4 結論

 フジテレビに限らず、アナウンサーは「インスタ更新中」と会社のHPでアピールするなど、報道機関というよりは「芸能事務所」に勤めていると思うこともしなければならず、ある意味気の毒。そんな土壌もあってアナウンサー個人は、今回のような「宣伝活動」にそれほど抵抗もなく応じたと思う。これはそのようにさせてきた会社側の問題でもある。そしてフジテレビ側はその「存在意義」からも、そして社員を管理する立場からも、この出来事を決してスルーしてはいけない。何か事情があるのかもしれないが、この出来事でお詫びするのを「世間を騒がしたから」だけで済ますのは、報道機関として「自殺行為」にならないかと危惧する。

 だからと言って「市中引き回しの上、磔(はりつけ)・獄門」と、厳罰を求めるわけではない。会社として反省の意を示し、今回の出来事に該当するアナウンサーたちも、出演する番組の冒頭で「軽率な行為」を謝罪し、今後は気をつけますと表明することで決着をすべきと思う。敢えて名前を出すが、日本テレビの上重アナウンサーは、無利子のお金を借用したことなどで謝罪し、一旦謹慎となった。そして現在は本人の努力と、周囲に恵まれたこともあるだろうが、アナウンサーとして、きちんと働いていると私は感じている。

 最近、別の「謝罪しない男」が注目を浴びている。28枚ものペーパーで自己の正当性を主張するも、その内容やそれまでの言動も重なって自縛状態となり、もう「頭を下げて」誠意を見せるだけでは如何ともし難い状況に陥っている。フジテレビは流石に余計なことを言わずに、言葉少なに対応しようとしているが、それでもこの問題で頭を下げず「スルー」するのは、今後の報道活動を自縛することになりかねない。

 この2つの事案で共通していることがある。それは「問題は、そこじゃないでしょ!」。

 

2021.6.6 追記す。

 最近になって報道された女子アナが各自、SNSで本件について謝罪している。フジテレビは今回の出来事に対して「やはり」ステマではないという判断。

 それはここでは(もう)置いておくが、「しゃべり」のプロであるテレビ局のアナウンサーが、謝罪するのにSNSしか使わないのは、どうなの?