小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

2 ドグラ・マグラ 夢野 久作 (1935)

【この文章には現代では相応しくない表現がありますが、原作の趣旨を生かすため、ご容赦下さい】

 こんな作品が昭和10年に発刊されたのが驚きである。さすがに読んで頭がおかしくなることがなかったが、頭を抱え込んだ。大きな謎の中に小さな謎がいくつも詰め込まれていて、その謎が解き明かされることはない。そして簡単に解明させることを断固として拒否している。この収まりのつかない居心地の悪さは、何か大きなものを読み落としたかと何度も思わせ、その思いは今も続いている。

 「ブウウーーーンンン」という不気味な音で始まる本作品。目覚めた「私」は記憶喪失で自分が誰だかわからない。「私」の前には精神科医の若林教授がいて「私」が名前を思い出せば全てが判明するという。「私」は最近急逝した天才精神科医・正木教授が取り仕切っていた「狂人の解放治療」と名付けた精神病治療の実験台らしい。そして正木教授の急逝の原因も「私」が関わっているという。自分を証明できない居心地の悪さ。これが作品全体を貫いている。但し「私」探しの謎は回収「されない」

 そして記憶を取り戻す手掛かりとして、患者が書いた原稿「ドグラ・マグラ」を渡す。その意味は作品内では「堂廻目眩(どうめぐりめくらみ)」の訛りと説明されている。意味は「堂々巡り」。そして若林教授は「一種の脳髄の血語句……もしくは心理的な迷宮遊び」と説明する。

*俳優でもあり画家でもある米倉斉加年さんが、本作品の世界観を見事に抽出して描いた表紙(上下巻とも)

 

 それは正木教授(正気?)と若林教授(馬鹿馬鹿しい?)をモデルにした物語。2人は学生時代からのライバル関係で、その研究内容も対立している。そして研究のため、ある特殊な血筋の女性を誘惑した過去がある。その女性は「私」の母親とされる千世子であり、父親は正木が若林のいずれか。どうやらそこでは呉一郎という人物が自分の母親と従兄弟を殺害したという。但しこの謎も見事に回収「されない」

 天才肌の正木教授が書いた論文も独特で難解。「私」はこの論文を読み続ける。

 

 「キチガイ地獄外道祭文」は、「チャカポコ」の独特の七五調で精神病患者の悲惨な境遇を描いたもの。

 「地球表面は狂人の一大解放治療場」は九州帝国大学に作られた「狂人解放治療場」の説明。

 「絶対探偵小説 脳髄は物を考える処に非ず」は、ものを考えるのは細胞で、感情を持っているという。

 これを脳が考えると堂々巡りとなり、「絶対」に解けない探偵小説のようなものと論じている。

 「胎児の夢」は「胎児は人間が進化した生命史を全て繰り返し夢見ている」という奇説。

 「空前絶後の遺言書」は映画のシナリオ、臨床報告書、古文書と変化し、事件の内容が語られる。

 

 私の筆力が足りずどれも的確な説明とは言い難いが、その中でも「胎児の夢」は興味深い。母親のお腹の中で、胎児は原始生物から人間にいたるまでの進化の過程を夢見ているという、当時唱えられた生物学上の反復説の内容に沿った内容。現代では一般的とは言えないが、但し当時はカケラもなかったDNA理論を連想させる先端的な考え。

 それは「2001年宇宙の旅」におけるスターチャイルドの存在。そして「火の鳥・未来編」の終盤のシーン、永遠の命を受けたために身体も朽ち果てたが精神だけ残る主人公が、火の鳥から「あなたは私になるのよ」と言われて火の鳥の体内に入り込むシーンと重ねてしまう。

  f:id:nmukkun:20220108113251j:plain 火の鳥・未来編より

 

 「火の鳥」における作品全体の構成は、物語は無限ループではなく「螺旋階段」のように回り、やがて頂上にたどり着く、と説明している。本作品も「ブウウーーーンンン」で終わるが、冒頭の「ブウウーーーンンン」とは微妙なズレがある。堂々巡りと思わせて螺旋のように新たな物語へと導くようであり、それはDNAの構造にも見え

 

 「個体発生は系統発生を繰り返す」。生物学上の反復説は廃れてしまったが、昭和10年に発刊された本作品は、未来における日本ミステリー界、特に新本格派(メタ・ミステリ)の「系統発生」に通じている。不可解な謎の提示から始まって、天才肌の人物の登場、作中作、回収されない伏線、結末のない終わり方(これは麻耶雄嵩そのものである)。

 作者は本作品を書き上げるために10年かけて呻吟しては試行錯誤を繰り返し、亡くなる前年にようやく発刊させた、そしてこの作品によって日本ミステリー界に埋め込まれたDNAは、半世紀を経て新たな「系統」を生むことになる。発刊前に夢野久作の頭の中で推敲された作品の「胎児」は、未来における新しいミステリーの「系統発生」を夢見ていた。

 

wakuwaku-mystery.hatenablog.com

*私のブログの読者さんが取り上げた本作品の書評です。ハンドルネーム通り、作品の本質に迫る内容となっていますので、合わせて是非ご一読を。