小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

【追悼】日比野弘さん、逝く

 日本ラグビー界の至宝、日比野弘さんが11月14日に亡くなったとのニュースが入りました。86歳でした。早稲田大学ラグビー部の監督として、社会人を破って日本一に導いたこともあり、また全日本の監督として、1983年、当時は全く手が届かなかった5カ国対抗グループの1つ、「赤い悪魔」ウェールズ戦で、アウェーにも関わらず美しい展開ラグビーと強さも兼ね備えて大接戦を演じ、現地の地元ファンを湧かせました。

 私は早稲田大学ラグビー部に所属していたわけではありませんが、個人的に日比野弘「先生」の思い出を記したいと思います。

 銀座の老舗の家に生まれ、ラグビー早明戦早稲田大学明治大学)を観戦して感銘をうけて早稲田大学入学と同時にラグビー部に入部し、俊足を生かして1年生からトライゲッターのウィングのポジションで活躍します。

 その後社会人を経て早稲田ラグビー部のコーチから監督へと就任。また大学の講師から助教授、教授として大学に長く奉職します。

   f:id:nmukkun:20211115200705j:plain 高校時代の日比野弘さん (ssf.or.jp)

 

 私が大学に入学した時は、大学ラグビー華やかな頃。早稲田、明治、慶応が3つ巴で戦い、関西では平尾誠二率いる同志社大学が日本一に君臨していました。そんな時ですが大学のラグビーの授業は、本部校舎からかなり離れた東伏見のグラウンドで行うため人気がありませんでした。高校時代ラグビー部でしたが躰を壊して1年で挫折した私も、第5希望くらいで応募したと思いますが、幸か不幸か当たってしまい、月曜朝、横浜から3時間半かけて体育の授業を受けることになりました(その後、応募してもなかなか当たらない人気講座になったと聞きます)。

 先生が全日本監督の日比野先生ということもあり、相当激しい授業だろうと想像していましたが、ラグビー愛が溢れる先生は、タッチラグビーなどでラグビーの楽しさを教える授業をしてくれました。当時はもうお腹ポンポコリンでしたが(失礼!)、私を前に呼んで敵に見立てて、華麗なステップを使ってのフェイントを実演してくれたことも貴重な思い出です。

 ヤフーニュースのコメントでもたくさんの人が書いていますが、大学の授業は週1回で年20回ちょっと。1講座40人くらいで私の時は確か週8コマくらい担当していたと思いますが、全ての顔と名前を1年間で覚えることを毎年自分に課していました。そして最後の授業では、学生をランダムに円形に並べて、真ん中から1人1人名前を言ってくれました。1年で300人位、しかも大半が会うのはその授業で終わり。大学の授業ですから、中にはサボっている学生も多くいます。それでも、全日本の監督を務めながらも、授業中、一生懸命名前を覚えようとする姿に感動した覚えがあります。

 

 私が授業を受けていた年は、ちょうど全日本の監督としてウェールズ遠征を行ない、歴史に残る激戦を演じました。そして遠征から帰って間もない時も、シロウトの学生相手にいつものように授業をしていました。けれども興奮の冷めやらぬ私は、授業のあと同じ思いの5~6人とウェールズ戦の感想を聞いていました。戦術面の裏話や松尾雄治選手、平尾誠二選手など有名選手の普段の姿も語ってもらい、日本に戻ってきたばかりのはずなのに、私たちに延々と語ってくれました。

 f:id:nmukkun:20211115200814j:plain 1983年、ウェールズ遠征の写真 (ssf.or.jp)

 

 そしてそろそろ遠慮しようとした時、突然日比野先生が、「こんなにラグビーを愛してくれてありがとう。お礼にお昼を奢ろう」といって私たちを東伏見駅前の中華料理屋さんに連れて行き、好きなもの食べろと言ってくれました。

 その時の話し方は、後に「伝説の名勝負」としてNHKで最近も放送された1985年の「新日鉄釜石同志社大学」で解説した時と同じで、時に思いが走って選手に対して呼び捨てを使ったりしながらも、私たちと同じ話し方。どんな時でも同じ姿勢で接する姿勢を強く感じました。

 その年のラグビー早慶戦では逆転負けをして授業でも悔しがった姿を見せ、早稲田ラグビーの総決算とも言える早明戦の翌朝の授業では、普通に授業しながらも(前夜は相当お酒が入ったはずだが)、私が日比野先生の本にサインをねだったら、「早明戦勝利の翌日」とわざわざ書いてくれました。

 そしてその横には、私が求めていないのに、私の名前が書いてありました。

 

 同じ早稲田ラグビー監督で全日本の監督も務めた大西鐵之祐先生は、集中力と根性は求めたが精神論は排して、「接近、展開、連続」を根幹とした理論で世界に挑戦しました。そして日比野先生は、それを選手に伝えて実践させる能力に長けていたと思います。

 私たちのようなシロウト相手にも、差をつけずに一生懸命取り組んでくれたことは、大学生の私にとって一番の教えになりました。でも先生のように徹底することは、残念ながらできませんでした。

 日比野先生のご冥福を、心からお祈りします。

 そして、生きる上で大切なことを、身を持って教えて頂き、本当にありがとうございました。

 f:id:nmukkun:20211115201004j:plain 明治大学の「御大」北島監督と(ssf.or.jp)