小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

17 逆転の歯車 清水 一行 (1986)

【あらすじ】

 大手総合商社「山紅」で四十九歳の若さに専務に登り詰めた井関弘志は、ロッキード事件に関与した疑いで、国会の証人喚問席に立たされていた。それまでの華やかな舞台が突然反転する。井関は、順調だったサラリーマン人生の終わりに理不尽さを感じていた。国会での厳しい糾弾の中、会社のために尽くしてきた半生が走馬灯のように脳裏に駆け巡る。

 

【感想】

 主人公井関弘志のモデルは伊藤宏。ロッキード事件で総合商社「丸紅」の専務で5億円の現金受渡しを担当し、金の受け渡しを裏付ける“ピーナツ”と呼ばれる領収書に署名した当人として、国会で証人喚問を受けた。経済小説では「巻き込む側」を主人公として取り上げるが、巻き込まれる側を主人公としているのは珍しい。清水一行も本作品の紹介で、「運不運ほどわからないものはない」と記している。

 主人公の井関は、貧乏な家で生まれたが、記憶が定かでない頃に、呉服商の家族に養子として出され、そこで周囲を遠慮しながらも、持ち前の頭脳で、飛び級を重ねて東大を卒業する。当時としては「切り札」ともいえた高等文官試験(公務員試験)も合格していたが、養家の呉服商を気遣って、将来後を担うことも考えて繊維系商社に入社する。

   *国会で証人喚問に応じる伊藤宏

 

 将来を嘱望されて入社するも、直ぐに健康を壊して1年9ヶ月もの間病気療養で休職する。復帰するも終戦後の会社分割(現実には伊藤忠商事と丸紅が分割している)などで混乱して、休職期間が経過して、既に退職扱いとなっていた。そこは何とか押し込んで在籍させてもらうが、「馬車馬のように」働かなければならない商社の中で、長い闘病生活から開けたばかりの若手に職場で居場所がない。

 人事部で無聊をかこっていたが、組合対策として侵入を命じられて、そこから会社幹部との知遇を得る。そこからはトントン拍子で、社長室付、人事部、総務部、秘書室などを渡り歩き、控えめな性格と明晰な頭脳で、常に幹部の懐刀としての役割を果たして、営業を全く経験しない異例の経歴で役員の登り詰めることになった。

 そこに落とし穴があり、当時不可欠であった政界工作を担当する会社幹部の部下としても、その連絡役を果たさざるを得ない立場となる。おそらくかなり多くの人物が同じような「仕事」をしていただろうが、その中でただ1人、証拠の領収書から証人喚問を受けた「連絡役」となってしまった。

 無責任な言い方だがロッキード事件とは、同じスピードで走っている車の集団で、ただ1台スピード探知機に引っ掛かって捕まった印象に思える(陰謀説などはここでは触れない)。捕まったのは悪いが、他にも同じようなことを多くが(全員、ではない)しているが、それを言えない政界の事情。その中で巻き込まれた「サラリーマン」に焦点をあてて、清水一行は「運不運の不思議さ」を描いた

 モデルの伊藤宏が実際にたしなんでいたか不明だが、主人公の井関が出世のきっかけとなったのは「囲碁」。当時会社内に相手がいなかった社長にその技量を認められて、気に入られることになる。明治の元勲大久保利通は、西郷隆盛島流しになった後、藩政改革の意見を反映させるには、権力者に近づかなくてはならないと考え、当時の薩摩藩を動かしていた島津久光の趣味である囲碁を習って取り入ったという。自らが権力者になってから、公私については死ぬまで峻厳であった大久保だが、権力者に取り入ろうとする「意欲」に対しては寛大だったという。

 そしてその利通の孫、丸紅の専務だった大久保利春もロッキード事件に名を連ねることになった。「出世のやり方」を描いた本作品。囲碁を利用したのは偶然か、それとも必然か。

 

    囲碁を使って権力者に取り入った大久保利通