![呉越春秋 湖底の城 九【電子書籍】[ 宮城谷昌光 ] 呉越春秋 湖底の城 九【電子書籍】[ 宮城谷昌光 ]](https://thumbnail.image.rakuten.co.jp/@0_mall/rakutenkobo-ebooks/cabinet/0501/2000008760501.jpg?_ex=128x128)
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【あらすじ】
復讐を果たした伍子胥には空しさが残り、盟友の孫武は病に襲われる。伍子胥は楚の遺臣と共に秦へと攻め込もうとするも、そこへ隣国越の允常(いんじょう)が呉に攻め入る。そのため呉の闔閭(こうりょ)は楚に勝利してわずか8力月で、楚からの撤収を余儀なくされた。
楚の出身で商家に生まれた范蠡(はんれい)は12歳の時、家族と住居を盗賊の襲撃により失った。難を逃れた范蠡は、出世した親戚を頼りに越の国へと向い、賢者の計然の元で学ぶ。ここで大夫種と出会い、優秀な2人は20代半ばにして太子・勾践(くせん)の側近に取り立てられた。
呉の闔閭は、攻め入った越に打撃を与えるべく出師する。しかし孫武は亡くなり、戦術にも精通する伍子胥は要職から遠ざけられていた。楚を倒して驕る呉に対し、越は奇襲に奇襲を重ねて相手の虚をつく。囚人が次々と呉軍の前で自害する奇策で動揺を誘い、ついには見事呉との戦いに勝利した。闔閭はこの戦いで深手を負うとやがて亡くなり、孫の夫差が後を継いだ。
夫差は喪の服しながら闔閭の復讐を誓っていた。伍子胥が越を攻める軍備を整えていると、報を受けた勾践は、范蠡の反対を押し切って先に越軍を率い呉に攻め入るが大敗する。呉軍は勢いに乗って越に攻め入り、勾践は呉軍に追い詰められた。越の首都では勾践の正紀が薪の上に座らされて、かつて范蠡の許嫁であった美女の西施を差し出さないと火を放つ、と脅す。范蠡の心中は乱れるが、西施が現れて身を犠牲にしたために、正妃の命は救われた。
越王の勾践は形勢利あらず屈辱の講和を求め、夫差は伍子胥の反対を押し切り同意した。勾践は呉の王宮で糞尿の始末を従事する屈辱の日々を味わいながら、2年経て范蠡や西施と共に帰国を許される。正妃を助けたが、敵将の囚われとなった西施を、勾践は始末すると予期した范蠡。先読みして西施が湖に投げ込まれるところを助けて、名前を変えて命を長らえさせる。
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*後半の主人公の范蠡は、当初は最初から主人公に据えたかったようです(ウィキペディア)
越王勾践は呉王夫差への復讐を忘れず、10年間民の祖を免除し、子供を優遇して愛国心の篤い兵士にしようとして、身を粉にして国力の増強に努めていた。対して夫差は徳を失い、佞臣の伯嚭の言のみ採用して、伍子胥もまた遠ざけられる。越の覚悟を感じる伍子胥は夫差に諫言するが、ついには死罪を命じられてしまう。范蠡はそんな呉の内情を調べ上げ、攻め入る時機が到来したと判断する。
夫差が遠征で国を空けたのを見て、越は呉に攻め込む。呉の兵士の戦意は乏しく、呉は先に勾践を許したように和睦を求めるが、范蠡は断固たる処断を勾践に迫る。呉の佞臣の伯嚭は友誼のためと称して勾践に楯を献じるが、それは范蠡の父が見せて盗賊に盗まれた、持ち主の命を奪う仕掛けのある楯だった。范蠡はとっさに伯嚭を刺し、楯と父の命を奪った仇を討つことになった。
全てが終ったあと范蠡は致仕を願う。その後商人として成功した范蠡に、1人の女性が現われる。それは幼き范蠡の許嫁で、命を救われてから商人となった西施だった。
*「臥薪嘗胆」呉王の夫差(左)と越王の勾践(右:共にウィキペディア)
【感想】
「呉越春秋」は古代中国で書かれた歴史書のタイトル(春秋は「史」を意味する)。作者の宮城谷昌光はこの古代書を、范蠡を中心に紐解こうとしたが筆が進まず、ライバルの伍子胥から説き起こしてようやく物語が動き出したという。9冊にもなる大長編だが、范蠡がまともに登場するのは第7巻からで、前半は伍子胥が圧倒的な存在感を示す。
「臥薪嘗胆」に登場する呉の夫差と越の勾践だが、本作品は敵討ちの故事成句に頼らず、より自然な形で復讐を遂げる物語を展開した。更に伍子胥から始まる数十年にも及ぶ壮大な復讐劇は、呉の夫差と越の勾践、そして最後になって范蠡にも紐付けて成就させる。
伍子胥は敵の王の命を奪うよう求めたが受け入れられず、一方で范蠡は時に情をかえようとする王勾践に対して、あくまで断固たる決断を迫った。伍子胥は復讐が成ったあとは王から遠ざけられて、最後は死を命じられる。対して范蠡は、目的が成就すると致仕して新たな道を歩んだ。同じ楚を故郷に持つ2人が呉と越に別れて戦い、似て異なる人生を歩む道のりを辿ることで、読み手に「復讐とは何か」を考えさせる。忠臣の伍子胥を葬った夫差は側近に恵まれずに国の瓦解を招き、范蠡が致仕した越も、その後讒言を繰り返す側近に囲まれることで、国は衰退していく。
「死者に鞭打つ」や「他山の石」も作者なりの由来を開陳し、「呉越同舟」や「狡兎死して走狗烹られる」という、本来この物語で触れるべき故事成語に頼らず、筆を進めた。また日本の太平記で取り上げられる、児島高徳が後醍醐天皇を励ました「天勾践を空しゅうする莫れ 時に范蠡無きにしも非ず」故事も、敢えて触れていない。
そして作者の鋭敏な感覚は、故事や慣用句だけでなく漢字にも表われている。名詞はやむを得ないが、動詞や形容詞に対して安易に漢字を用いることを拒否し、ここぞというときに一番的確と思える漢字を文章に「打ち込む」強い意志を感じる。
*西施(ウィキペディア)
そんな作者が選んだタイトルの「湖底の城」。長い物語の最後にその意味が開陳されるが、それは読者によって様々な想いを抱くことになるもの。なお諸説では、范蠡が美女西施を呉に送り込み、夫差王を骨抜きにして呉を傾けたという話もある。
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