小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

8 三本の矢 榊 東行 (1998)

【あらすじ】

 経営難が噂される日本不動産金融銀行について、経営悪化を認める大蔵大臣の失言により金融パニックが日本全土に波及する。同銀行は倒産し、「昭和金融恐慌」が再現された。大蔵省は対応策を策定すべく、緊急チームを編成し、事態収拾にあたる。その一方で、大蔵大臣の答弁書が何者かによって差し替えられており、大蔵大臣の問題発言は作為的な陰謀であることが判明する。

 大蔵省銀行局の紀村隆之は突然官房長に呼び出され、「蔵相失言事件」を仕組んだ犯人を調査するよう命じられる。しかも一両日中発表される、金融パニックへの対応案が政府から発表される前に、犯行の目的を明らかにしなければならない。時間がない紀村は、証拠ではなく動機面から事件を探っていく。だが、これほどの金融パニックを引き起こして、いったい誰が得をするというのか?

 

【感想】

 作者は現役の(当時)大蔵官僚と言われていたが、正体は不明のまま(と、思う)。その内容は余りにも濃く専門的だが、一般「国民」にも読みやすく描かれている。題名の「三本の矢」は、日本の金融業界に関する「政・官・財」のトライアングル構造を意味する。当時は大蔵省をテーマにした本は小説、ノンフィクションに関わらず多く出版されていたが、これだけの「暴露小説」は珍しい。このジャンルでは異例のベストセラーになった。私も当時、リアルな暴露と濃密な内容に、感心しながら読んだもの。

 「政・官・財」のトライアングル構造と言っても、当時金融は大蔵省「支配」が続いていた時代。但し護送船団方式は1995年の銀行破綻から揺るぎ始め、本作品発刊の前年にあたる1997年には大手証券会社の山一証券都市銀行の一角である北海道拓殖銀行の破綻が発生する。

 その中で大蔵省内でも主導権争いがある。「財政の二階:主計局及び主税局」と「金融の四階:銀行局及び証券局」の「イデオロギーの違い」。財政側は日本の体制を維持するためには、予算出動による金融機関の救済もやむなしと考える(フランス的、と言うべきか)。対して金融側は、アメリカに代表される、ペイオフ実施で金融システムを自由化させることを進めたいと考える。この対立構造は「官僚たちの夏」で描かれた、(旧)通産省内でのイデオロギー論争とも一致する

 

 その中に新人のキャリア官僚の生態も忌憚なく描いて、「選良思想」とは何かを描いている。小学生時代の学習塾、四谷大塚から続く、競争の話は「ため息が出る」が、他にも入省から離職後に至るまで影響する人事によるヒエラルヒーの構築など、大蔵省の「ハウツー本」よりもずっと具体的。金融パニックによる死者と交通事故の死者を重ねるのは、「統治する側」として、死者の数を「統計として捉える」表われか

 そして「動機面」から事件を探る紀村は、当時最先端であった学問「複雑系」に行き着く。その考えは、消費税を導入した「世論操作のプロ」の大蔵省OBが「個人」で見通したものと一致するのが見事な設定。対してこの陰謀を企んだ人物は、思い通りに世論を誘導できなかった。

 また「財」の代表である「日本産業金融銀行」。金融法制立案の下書きまでしたと言われる金融界の雄だが、それでも民間としての厳しさもある。新人の時に営業で歩き回って履きつぶした靴の挿話は印象的。どんなエリートでも、大抵は新人の時に通る道である。

 官僚、特に当時の大蔵省の生態とペイオフ前夜の動きが描かれ興味深い作品。蛇足だが、内閣法制局の強大な権限の記載は面白い。「政策展開において拒否権を握っている」立場は、上田秀人の「奥右筆秘帳」を思い出した。江戸時代も現代も、政治のシステムは肝心な所では変わらないのか