小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

7 会社葬送 江波戸 哲夫 (2001)

【あらすじ】

 1997年9月、株式引受部門で頭角を現し「法人の山一」を体現していた永井清一は、全く経験のない総務部長への異動を命じられた。この人事に不満を持つも、与えられた職務に全力を尽くす気持ちを固める。直後、山一證券の幹部数名が証券取引法違反の疑いで逮捕され、会社は家宅捜索を受ける。

 バブルの崩壊で「にぎり」と呼ばれていた営業特金が巨額の損失を生み出し、損失の隠蔽を行うため「飛ばし」と呼ばれる簿外債務が拡大して、営業面での進退が窮まっていた。メイン行からの支援も見限られ、監督官庁の大蔵省からも最後通牒を突き付けられ、ついに11月24日、役員会で自主廃業を決議する。同日、社長の野澤は記者会見で「私らが悪いんであって、社員は悪くありませんから」と立ち上がり号泣しながら述べた。

 

【感想】

 金融機関の破綻を描いた作品が続く。バブルの興隆から崩壊の時代を率いた行平社長時代(1988~1992年)に、営業特金を交えた積極政策を打ち出し、ブラックマンデーやその後のバブル崩壊でも、会長の座に退きながらも行平会長は実権を握り続けて、経営方針を改めようとしなかった。1997年になり総会屋利益供与事件で行平会長を始め経営陣が総退陣となるが、時すでに遅く11月24日の記者会見の日に突き進む。

  *行平次雄元社長(日刊ゲンダイ

 

 本作品は、そこからの描写が忠実。作者は実際に永井を取材し、後に自ら顛末を書き記そうとしていた資料を作者に渡して、作品に血と肉を与えた。題名「会社葬送」は、まさに会社の「送り人」の立場で、どのように株主総会を開催して自主廃業に導いていくかが描かれている。そのため意外と商法知識などに基づく記述が多くなっている

 とは言え、不沈空母とも覚えた山一證券が廃業となり、その「乗組員」たちの運命も筆致を抑えた形で点描されている。主人公のように株主総会を無事終わるまでは、会社に残り自分の職責を果たそうとする者。妻や子供のことを考えて、何とか次の「飯の種」を探そうとするもの。運命に逆らわない者と様々。これは別に良い、悪いの話ではなく、その人の置かれた立場(職責や家族事情など)によって判断が異なるのは、当然と思える。

 主人公の永井も、当時総務部長の職になかったら、また別の選択をしたであろう。但し永井は、仕事ができる人特有の性質から、慣れない仕事でもその経験と常識を持って、最善の選択を導き出した。

 当時読売新聞で本件を取材した清武英利は「しんがり 山一證券 最後の12人」で真相究明と清算業務を続け、最後まで会社にとどまった「しんがり」社員たちを描いた。こちらも1つの視点だが、本作品では、主人公を「送り人」としての役割を描くことで哀切を感じさせる。

 

 話は(いつも)飛ぶが、本作品を読んで伊東潤が描いた歴史小説「武田家滅亡」を連想した。戦国大名として織田・徳川を怖れさせた武田家。勝頼の代になって更に拡大するも無理が祟って、段々と追い詰められていく。そして最後はあれだけ権勢を誇った武田家が、つきそう者わずか数十名となり当主勝頼は切腹するも、その遺骸から織田方に「首を刈られる」場面で物語が終わる

 会社人事には運・不運がつきもので、在職中にどんな事件が起きるかは誰にもわからない。それもまた1つの運だが、それ以上に所属する会社にも運・不運は付きまとう。わずか一部の行為によって会社全体に「腫瘍」が蔓延して、気が付いたら人の手では如何ともし難い状況にまで追い込まれている

 そうならないために「人材」が必要。但しこのような状態になるとき、本当に必要な「人材」は既に遠ざけられている場合が多い。