小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

小説で読む戦後日本経済史④ プラザ合意とバブル経済(1985~1991年)

1 貿易摩擦

 1980年代に入ると、それまで日本製商品のイメージであった「安かろう、悪かろう」のイメージから変遷して、「安価で高品質」としたブランドとして世界に名を高めて、輸出が激増する。その商品を製造する日本企業の組織体は、「日本的経営」が世界中で手本とされ、「Japan as No.1」とまで言われる。しかし、自動車や家電の輸出産業を中心とした日本企業による輸出「攻勢」の躍進は諸外国、特にアメリカとの間に日米貿易摩擦を巻き起こし(三好徹著「白昼の迷路」杉田望著「小説 半導体戦争」など)、アメリカ側は経常赤字を解消し、日本側は輸入を受け入れる内需拡大が喫緊の問題となった。そこで日米の政府間協議が何度か行われるが、貿易摩擦は一向に解消されなかった。

 

2 プラザ合意

 貿易赤字が解消されないアメリカは、政府間協議とは別の手を打つことになる。1985年にプラザ合意が行われ(船橋洋一著「通貨烈烈」塩田潮「1000日の譲歩 大蔵省VS.アメリカ」)、各国政府の介入により円高ドル安へと誘導され、急激な円高が生じた。

 アメリカからの輸入品は価格が下がり、逆に日本商品の輸出品は為替の関係により値上がりし、アメリカ国内の商品に対しての価格競争が厳しくなった。これにより輸出を主とする企業は為替損で大打撃を受けることになる。

 

     *共にAmazonより

 

3 バブル景気

 政府は内需拡大路線と円高不況の懸念から積極財政に実施する。日本銀行は著しい金融緩和を実施した。この金融緩和によって、内需拡大を目的とする低金利政策を主とする景気拡大政策を行う。いわゆる「金余り現象」として過剰流動性が発生し、その資金は当時「右肩上がりが永遠に続く」と思われた不動産や株価、そして絵画などにも注ぎ込まれて価格が上昇、後々バブル景気(バブル期、平成景気)と呼ばれることとなった(江波戸哲夫「小説都市銀行」)。

 

4 産業空洞化

 円高による為替差損を回避するために、バブル景気による内部留保を糧に日本企業は、海外(特に東南アジア)へ積極投資を行なう。海外に工場を建設して生産を行い、また現地の低廉な労働力を利用して越すとダウンも行うグローバル経済化が、中小企業も含めた流れが始まった。そのため日本国内での工業技術が海外に流出して、産業空洞化が盛んに叫ばれることになる。

 

5 「バブルの舞」、ほんの一例

(この時代を表現しているのは、ほいちょいプロダクション「気まぐれコンセプトクロニカル」

 ・野村證券が売上でトヨタ自動車を抜く。(アル・アレツハウザー「ザ・ハウス・オブ・ノムラ」

 ・1986年「変額保険」が販売。騙して貸し込む手口が、バブル崩壊で問題に(黒木亮「貸し込み」)。

 ・1987年には当時の安田火災ゴッホの「ひまわり」を約58億円で落札。

  (高杉良著「広報室沈黙す」:舞台は安田火災だが、時代はバブル以前)

 ・1989年にはマンハッタンの中心街にあるロックフェラー・センター三菱地所が買収。

 ・1989年にはソニーコロンビア映画を買収。「アメリカの魂を買った」と非難を受ける。

 ・ゴルフとスキーをはじめとするリゾート事業が急激に拡大。ゴルフ会員権は億の価格も。

  松任谷由実「SURF&SNOW」が大ヒット。

 ・就職戦線は売り手市場で、内定者を「すし・すき焼き・しゃぶしゃぶ」の接待や海外旅行にご招待。

  (池井戸潤「おれたちバブル入行組」

 ・賃金も上昇し、高級腕時計や高級車(ソアラシーマ現象)を購入する「若者」が増加。

 ・不動産の地価が、朝夕どころか、時間単位で上昇。(清水一行「一瞬の寵児」

 ・銀行は土地があれば「川の底」でも担保に取って融資。また「住専」による迂回融資も活発化。

 

  

 *中曽根総理とレーガン大統領(日刊ゲンダイより)

 

(データはウィキペディアから引用しています)