小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

15 組織に埋れず (旅行代理店:1996)

【あらすじ】

 日本交通公社(JTB)で働く大東敏治。搭乗員時代、預かったお客のパスポートをホテルに預けたまま失念。あるいはツアー客の航空券を渡さずに、先に別の場所に移動してしまったことなど、信じられない失敗を重ねて退職も考えた「ずっこけ若手社員」。

 一旦は落ち込むが心機一転「仕事上の失敗は仕事で返すしかない」と決意し、OB人脈やお客の何気ない一言からヒントを掴み、年金ツアー、積み立て旅行、デパート共通商品券など、前例のない新商品を生み出していく。つねに新しい仕事を「楽しんで」会社を生き抜いた会社員の物語。

 

【感想】

 会社員を経験していくと、必ず誰もが失敗はする。それが笑える失敗か、笑えない失敗かで会社人生が左右される場合もある。昔は笑える失敗を酒場で披露しながら仕事を覚えてきたものだがコンプライアンスが厳しくなった現在、「笑える失敗」は減少し、会社員はプレッシャーと闘いながらも実績を上げていかなくてはならない。

 当時でも「笑えない失敗」をしでかした大東敏治(実名)。但し本作品の主人公は、周囲の理解があって、笑えない失敗もカバーしてもらい失点にはならず、若手社員の将来を損なうことはしない会社の配慮も感じられる。「再チャレンジ」の機会が与えられ、それでも失敗を繰り返す人と、失敗をバネにして飛躍する人がいるが、大東は間違いなく後者だった。

 大東は世界に冠たるリーディングカンパニー、JTBに1972年に入社する。同年の11月に海外渡航者の「外貨持ち出し制限(今の若い人は全く想像できないだろう)」が撤廃される。「トリスを飲んでハワイに行こう」のキャンペーンが行われたのはおよそ10年前の1961年で、海外旅行が「夢」から、「一生に一度は」と変わってきた時代。

 そんな時代に、大東はまず添乗員として苦労する。城山三郎の「臨3311に乗れ」でも添乗員の苦労を書かれているが、当時は「農協ツアー」が海外で顰蹙を買っていた時代で、団体旅行客は一生に一度の海外旅行に皆ハイテンション。苦労も並大抵ではない。

 

nmukkun.hatenablog.com

*同じ旅行代理店のお話ですが、舞台が10年ほど変わっただけで、だいぶ違います。

 

 ここでの失敗からの挽回は、大東の「しなやかさ」を感じる。社内だけでなく社外から、そしてお客からの会話をヒントにしてアイディアを生み出す。これは大東が常にアンテナを張って情報を集め、必要と思ったら積極的に人に会いに行く行動力も持ち合わせている。

 そして商品開発のアイディアを具体化するプロセスが必要になる。今までなかった「旅行商品」を形にするため、法律や金融、他社の動向などを丹念に調べ、実現させる。そして実現させるためには何年かかっても続ける。これは通常業務に追われるだけでは、到底できないこと

 大東は社外に積極的に論文を投稿する。その内容は正論もあり、会社におもねるような内容ではない。中には社外に論文を出す行為「そのもの」が会社から疎まれる場合もある。それを許容する会社の「懐の深さ」が作品全体に感じられる。「組織に埋もれず」は主人公、大東の性格やアイディアもあるが、会社として「組織に埋もれるような社員を極力出さない」ようにする風土も必要になる

 大東はその後も組織に埋もれない。1997年には「バンカーズパートナー」をJTBと共同出資して設立し、企業内起業家となった。その後、銀行富裕層向けの非金融サービスなど業容を拡大していく。

 2010年6月同社を退職。その間しなやかに、そして人間らしく会社に携わり、社員の枠を超えて会社に寄与した。仕事のミスを仕事で返し続けた結果、「会社員」としてその生活を全うした。

 

  

 *大東敏治氏(Facebook より)