小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

14 挑戦つきることなし (運輸:1995)

【あらすじ】

 宅配便の代名詞ともなったクロネコヤマトの「宅急便」。当初は関東一円から、そして日本全国どこでも小口荷物を届ける、配送革命を成し遂げたヤマト運輸。その成功の影には「初めにサービスありき」をモットーに、郵政省や運輸省の理不尽な横槍に抗して、規制に対して挑戦をし続けた、ヤマト運輸の二代目社長、小倉昌男のドラマチックな人生にあった。

 

【感想】

 今は昔となったが、2009年に発足した民主党政権は、規制緩和を打ち出して政権を奪取した。例えばバス停を数10メートル移動するのに、どれだけの「ハンコ」が必要なのかと政府、役所を追求して国民の喝采を浴びた。但しハンコが必要なのはそれだけの理由もある。大型戦艦で、船長や士官がどれだけ進路を指示しても、進路を変更するのは大型船になればなるほど時間がかかる。まして実際に船を動かす機関士たちに、具体的な指示を受けずにお題目だけ並べても、思い通りに動かせるはずもない。

 昭和22年に施行された郵便法は、郵便を安く、公平に配達することを趣旨として、郵便局が民営化された現在でも通用している。また2003年に日本郵政公社の発足により民間業者への信書取扱いを許可したいわゆる「信書便」は、民間業者の参入を許可しながら、その条件として郵便ポストの役割を満たす物を全国各地に配置するなどの厳しい条件で、「一般信書」は民営化した郵便局以外の許可は与えられていない。結局は、民営化以前とほぼ変わっていない。

  小倉昌男(BS東京より)

 

 主人公でヤマト運輸二代目の小倉昌男は、そんな政府と法律に守られた、リーディングカンパニーどころではない、「絶対君主」郵便局に対して闘いを挑み続けた。1919年に父、小倉康臣が設立したヤマト運輸。この創業者の話だけでも面白いが、1971年に父から社長の座を引き継ぐ。

 三越松下電器産業などの企業に食い込んで運送会社としての地位を築いたヤマト運輸だが、オイルショック後に低迷していた企業向け運送サービスの業績回復のため、『宅急便』の名称で民間初の個人向け小口貨物配送サービスを始めた。

 規制緩和を巡り、ヤマト運輸が旧運輸省や旧郵政省と対立した際、企業のトップとして先頭に立ち、官僚を相手に正論を吐き続ける。許認可業種でもある運送会社が、「とことん」政府の方針にたてつくのは、ある意味経営者としての資質が問われるくらいの過激ささえ感じる。不合理な問題に対する姿勢は政府にとどまらない。銀座で創業したヤマト運輸の基礎を築いたと言ってもいい取引先の三越が、岡田茂社長の就任以後、運送費の大幅引き下げや映画チケットの大量購入など理不尽な要求を繰り返すことに激怒し、同社に対し取引停止を通告する。この様子は両社のシンボルマークに引っ掛けて「ネコがライオンにかみついた」として話題となった。

 横槍を跳ね返すにはエネルギーが必要。そのエネルギーも、経営者側から見れば日常業務の内の何分の1かの役割だが、政府・官僚側は、そのエネルギーを跳ね返すために、業務時間の全てを費やして対抗する。政府諮問会議などで「うるさ型」をメンバーに入れるときも、会議の運営方法で口を封じると共に、メンバーの反対意見を「何メートルも積み上げた」資料で説明して根負けさせるなどの話もある。その中で「挑戦つきることなし」の姿勢を貫くのは、よほどの覚悟が必要だっただろう。

 郵便局の民営化に伴う意見広告や、ゆうパックの取扱いによるコンビニとの取引停止など、小倉昌男が退任したあとも、ヤマト運輸の「挑戦」は続いている。