小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

8 破滅への疾走 高杉良 (自動車:1984)

   *新潮文庫Amazon


【あらすじ】

 大洋自動車は、25万人のグループ社長を擁し、業界首位の座も狙う日本有数の巨大企業。だが、権力に固執する経営トップの高瀬英明会長と、自動車労連会長の塩野三郎の密着ぶりで、次第に迷走を始める。やがて会長の高瀬をも凌駕して、人事まで壟断するようになった塩野に経営陣は怖れ、組織は疲弊していった。凋落する一流企業の悲劇を描き、跋扈する「労働貴族」の正体を暴く。

 

【感想】

 作者高杉良は、まず「覇権への疾走」(文庫化で「労働貴族」と改題)というドキュメントを著し、ここでは日産自動車川又克二会長、石原俊社長、塩路一郎自動車労連会長らが、実名で描かれた。そして改めて登場人物を「仮名」にして本作品を描いた。先に「労働貴族」を読んでいたため、今更仮名にしなくても、と思うほど真に迫っていたが、「破滅への疾走」と題した本作品は、仮名にすると更に突っ込んで描かれ、登場人物の「キャラ」もちょっとデフォルメされた印象もある。

 塩見一郎は1953年大学を卒業して日産自動車に入社した。当時の日産は「全国最強の労働組合」と呼ばれ、「1年を10ヶ月で暮らす」と言われるほどストライキが頻発した。対策に苦慮した経営陣は、資金面では財界の支援を得てストライキに対しても徹底抗戦を貫き、組合に懐疑的であった塩野を部長として第二組合を設立して、懐柔と暴力「的」活動を行い、相手を骨抜きにして完全勝利に導いた。

 1972年、自動車総連を結成して会長に就任。その後は労働組合の立場でありながら、どんどんと会社経営に介入して人事権を行使するに至り、日産自動車内で「塩路天皇」の異名を取るほどの権勢をふるう。自分に意見するものは、たとえ匿名でもあらゆる手段で捜し出して、左遷や降格で徹底的に「潰す」。「高瀬」会長と造船受注でリベートを受けるなど甘い汁を吸い合って、一蓮托生になっていく。都内に7LDKの自宅を設け、自家用ヨットを所有し、銀座で豪遊を繰り返す「労働組合幹部」。そして日産の首脳陣は、過激な組合を潰した功労者の立場と、権力者の会長と組合幹部が(なぜか)「ズブズブ」の間柄で人事権まで掌握したため、制御ができなくなる。

  

 *左から石原社長、川又会長、塩見自動車労連会長(朝日新聞

 

 1977年に社長に就任した石原俊は、初めは良好な関係を築こうとするが、「当たり前の対応」をすることで塩見「天皇」の機嫌を損ね(マージンもなくなり)、ついに対決姿勢を打ち出す。石原がイギリス工場建設を計画したところ、塩路は理由にならない理由で「強行したら生産ラインを止める」とまで言って猛反対した。その後女性スキャンダルをきっかけに、長年塩路体制下で不満を蓄積させていた組合員からの文書による訴えに始まる突き上げを受けて、ついに落日の日を迎える。石原会長の尽力もあり、1986年2月に労働組合から引退し、1987年には定年退職。影響力は完全に排除された。

 以上の話は事実を述べただけだが、初読の際はなんてひどい話だろうと思いながら読んでいた。石原社長の「巨悪」に立ち向かう姿勢と、組合員が立ち上がって正常な会社に戻そうとする意気込みに、つい肩入れする。最後は「匂わせ」で終わっているが、「勧善懲悪」の結末を本作品では決めて欲しかった。

 ただ「技術の日産」はバブルになると「シーマ現象」で高級車路線に乗り出し、業績は一旦回復するが、販路はあまりにも貧弱で、バブル崩壊後は倒産の危機に陥る。それは石原社長が推し進めた海外進出による有利子負債の増加も経営危機の大きな要因になり、自力再建は困難な状況に陥っていた。

 1999年、フランスの自動車メーカー、ルノー資本提携を行い経営危機は脱する。そして「コストカッター」カルロス・ゴーンが社長に就任し、大規模なリストラを軸に「辣腕」をふるう。その中には塩路体制を、身を挺して批判した組合員もいるだろうと思うと、感傷的になる。そして今の日産を見ると、歴史は繰り返し、果たしてどの形が正解だったのか、または正解があったのかという疑問が広がる。

 しかし「それでも会社は回っている」

   

*「覇者の驕り」自動車・男たちの産業史 デイビッド・ハルバースタムAmazon):塩見一郎自動車労連会長が権力を掌握する過程は、こちらの本で詳しく描かれています(後日取り上げます)。