小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

小説で読む戦後日本経済史② 高度経済成長期(1954年~1970年)

1 高度経済成長

 1956年の経済白書では「もはや戦後ではない」と記される。

 朝鮮特需後の好景気を元手にした設備投資と生産の増大。復興によるインフラ整備。そして労働者賃金の上昇による購買力の増大などが重なり、製造業を軸に日本経済は高度成長の局面に入る。この好景気は、神武天皇(日本の初代天皇)が即位して以来の好景気だという意味を込め「神武景気」(1954年12月から1957年6月)、その後、なべ底不況(1957年7月から1958年6月)を経て神武景気を超える好景気だという意味を込め「岩戸景気」(1958年7月から1961年12月)と、日本の神話を引用して命名された。更に1964年には東海道新幹線の開通や東京オリンピックの開催も加えて、日本経済は好調を極めた(清水一行「小説兜町(しま))。

 

2 所得倍増計画

 高度経済成長を牽引した政策が、1960年首相に就任した池田勇人が打ち出した「国民所得倍増計画」。それまでの岸内閣では安保法案による社会党との対決姿勢が鮮明に打ち出されて、デモが頻発していた。当初は夢物語としか思えなかった政策を池田首相が信念を持って国民に訴えたことによって、国民もその夢に向かうことになり、経済政策だけでなく、「政治の季節」に終止符を打つ画期的な政策となった。そして高度経済成長期、日本は年平均10%という驚異的な経済成長を遂げ、当初の10年を短縮して8年で所得倍増計画は達成された(沢木耕太郎著「危機の宰相」)。

 

3 証券不況

 高度経済成長により、証券市場も成長する。投資信託の残高は1兆円を突破するまでとなった。しかし、東京オリンピックの特需が終わり、金融引き締めが重なり不況に転落する。多くの大手証券会社が赤字に陥り、1965年には証券不況(構造不況、昭和40年不況)が起きた(清水一行「兜町物語」)。経営危機を叫ばれた大手証券会社の破綻からくる不況の拡大を防止するため、田中角栄蔵相の決断により戦後初の日銀特融山一証券に実施される(高杉良「小説 日本興業銀行」)。また日銀引き受けによる戦後初の国債建設国債の発行を行い、この不況を乗り切った。

 

  田中角栄大蔵大臣(ウィキペディアより)

 

4 高度経済成長による産業構造の変化

 高度経済成長によって、日本の産業構造は農業や繊維などの軽工業から、鉄鋼・造船・化学などの重化学工業が中心となった。この経済成長で雇用の拡大が続いて失業率は3%を切り、完全雇用が達成された。個人所得の増大により、1950年代後半の「三種の神器」(白黒テレビ・冷蔵庫・洗濯機)や1960年代後半の「3C」(カラーテレビ・自家用車・クーラー)による消費ブームが発生した。自動車メーカー(梶山季之著「黒の試走車」清水一行「器に非ず」清水一行「巨大企業」邦光史郎著「小説トヨタ王国」など)や家電(邦光史郎著「大阪一代」津本陽著「不況もまた良し」邦光史郎著「虹を創る男」など)そしてスーパー(城山三郎著「価格破壊」など流通をテーマにした小説を参照)などの業界が替わって経済成長を支えて行く。

 高度経済成長の進展によって、社会は効率化が叫ばれるが、その一方で、石炭から石油のエネルギー政策の転換によって各地の炭坑が廃坑になっていく(長崎県軍艦島や北海道夕張市など)。地方と都市部の所得格差の拡大、公害の発生やそれによる環境破壊、東京一極集中による地方の過疎化、大企業と中小企業との下請け問題(城山三郎「勇者は語らず」清水一行「系列」)など、様々な「歪み」が浮かんでくる。

  (データはウィキペディアから引用しています)