小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

15 闘いへの執着 清水 一行 (1983)

【あらすじ】

 裸一貫で日本最大の製パン業を育てた立志伝中の社長、笹沼金一郎は執務中に心臓病で倒れ、6年間の病気療養を余儀なくされた。それでも金一郎は病床で社長としての実権を握り続けていたが、役員会は取引先の千代田製粉と手を組み、社長解任の罠を仕組んでいた。

 社長が取り組んだ別会社の関西進出プランが、商法違反とされ公表、そして株主総会前日に重役会の席上で、社長更迭が決議された。創業者社長の意地を賭け、金一郎は乗っ取り工作に敢然と立ち向かう。権力の源泉に挑む人間の欲と愛憎の姿。

 

【感想】

 山崎製パンは飯島藤十郎が1948年に千葉県市川市で創業。1960年に東京進出してから全国展開となり、業界トップとなり不二家東ハトなどのグループ企業を抱え、今日まで至っている。1977年には当時専務を担当していた弟の一郎が、山崎製パンの大株主である日清製粉のバックアップを得て、飯島藤十郎を追い落として社長に就任してお家騒動が勃発した。藤十郎は大物、笹川良一の支援で日清製粉の株を買い占めるなど徹底抗戦するが、日清製粉は当時の皇太子妃(現上皇后)の美智子様の実家でもあり、皇族への飛び火を怖れた財界が事態の収拾に動く。結局弟一郎は子会社に追放され、藤十郎の息子が社長に就任することで決着を見せた。

   

 *委託生産で好評を博したコッペパンロシアパン山崎製パンHPより)

 

 本作品は飯島藤十郎をモデルとする笹沼金一郎が主人公。創業者のワンマン社長で、病気療養も何のその、周囲に当たり散らす罵詈雑言は凄まじい。病気で6年間満足に出社できないこともあり、社長の追放劇もやむを得ないかと思いながらページを読み進めていく。

 ところがそこから清水一行の筆力か、社長追い落としを画策する側の弟と取引先から出向している役員の狡猾さ、取引先の意向を汲んだ経営方針の変更により、無理な計画を押しつけられる製造ラインや社員たち、そしてしわ寄せを受ける販売店などの悲痛な声が描かれることから、このワンマンな頑固親父に愛嬌を感じてくるのが不思議。清水一行のそれまでの作品から見ると珍しく感じるが、10年後に著す「系列」でも見られるように、親会社や取引先の横暴、というのが大きなテーマとなっている。

 そのため途中から金一郎は単なるワンマンではない、知恵が回る様子も描いている。また役員会では社長解任を受けたが、社員や販売店の心はしっかりと掴み、そこから反転攻勢に出ていく。社員などの総意を背に、メインバンクからの仲介も簡単には折れない、筋を通そうとする人物に変化している。

 そして「潮時」を感じて身を引くことを匂わせて本作品は終えている。決着をつけないのも清水一行作品としては珍しい描き方と思うが、「寸止め」でもあり、また最後まで描けない理由もあったのだろう。

 まず主人公金一郎が反転攻勢を行った1つの、「千代田製粉」の株買い占めだが、これは自分の私財を資金としてのもので、現実にあった(とされる)笹川良一と思しき人物を登場させていない。金一郎を「主役」とするためには、「右翼の大物」を描く訳にはいかなかっただろう。

 第2に社長追い落としの「罠」。金一郎が主導した関西進出のための別会社買収が、商法上の役員による「競業避止義務に違反」に該当するとした事案。本作品上は、金一郎側の弁護士が十分勝てるとしていたが、現実では1984年に敗訴している(東京地裁)。しかも事実認定では、会社経営はワンマンで独断専行、別会社設立の資金や連帯保証を会社に追わせる行為を厳しく糾弾している。

 最後は後継者。「金一郎」から見れば心許ないと思っていた息子が、この騒動を経て頼もしい存在になっていく姿を描いている。現実では山崎製パンは1979年に創業者の息子、飯島延浩が社長に就任するが、その後40年以上に渡って社長に君臨するとは、1989年に死去した飯島藤十郎も予想していなかっただろう。

 

   *飯島延浩(ウィキペディアより)