小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

14 一億円の死角 清水 一行 (1981)

【あらすじ】

 ダイドー自販の社長を長年勤め、ダイドー自動車を日本一の自動車メーカーに押し上げた「販売の神様」田部井彦太郎。現在は病気で意識も定かでなく、長年入院が続いている状態だった。その息子の圭司は50歳を過ぎてもなお、常識欠如のお坊ちゃん育ちのまま。

 偉大な父からの独立を求めるが、周囲から嵌められてパクり屋の餌食となる。乱発した手形の決済が迫られ、やむを得ずダイドー自販から資金を融通してもらうが、その内の1億を紛失し、通りがかりの人が拾得することになる。

 

【感想】

 1980年に発生した1億円拾得「事件」。最初は拾得者についての報道が先行したが、次第に落とし主についての憶測が広がった。後に政治献金事件で世間を賑わせた会社の関係、兜町で席巻していた仕手グループの資金、そして宗教団体絡みなど。結局落とし主は現れず、表には出せない金と推測するしかなくなった。そしてそのうち、大手自動車メーカーの自販会社で「販売の神様」と呼ばれた人物の、不肖の息子に関係しているのではないかとの噂が流れ、清水一行はそこから経済小説に結びつけて、本作品を構想することになる。

   *出典:bloging goo, ne,jp

 

 トヨタ自販で「販売の神様」と呼ばれた神谷正太郎は、まず三井物産に入社し、海外勤務を経験した後退職し、ロンドンで鉄鋼会社を設立するが、ストライキなどで経営は悪化、廃業し日本に帰国する。英語が堪能であったことから、ゼネラルモータース(GM)の日本法人に誘われることになり、最終的には副支配人まで出世する。

 1935年、トヨタが自動車生産に乗り出すことになり、販売について同郷出身の神谷に白羽の矢が立ち、販売部門の責任者としてスカウトされ、トヨタ自販の基礎ができる。戦後の1950年には経営危機から「工販分割」がなされ、神谷はトヨタ自販の初代社長に就任、以後トヨタ自販に君臨することになる

 実際に神谷正太郎も「不肖の息子」がいたことは有名だったが、本作品では「田部井彦太郎」はかなり強烈な性格を有する人物として描かれている。四半世紀に渡り社長に君臨した功労者で、ダイドー創業家も手を出せない聖域。それをいいことにして、会社の裏金は全て自分が使い、自分の金は決して出さない「金の亡物」としている。

 今では考えららないが、会社員でもない息子の尻拭いにも、私財が百億以上もあるにも関わらず決して自分からは出さず、自販から捻出されようとして、経営陣が反対の意向を示すと人事権をちらつかせる「老害」としか思えない存在。そして息子の不始末の尻拭いのために、長年の腹心と弁護士をつけて「田部井事務所」まで設立する始末。

 話は極端のようにも見えるが、当時はコンプライアンスもなく、会社と自分の私財の区分けが全くできていない「かまどの灰まで自分の物」という意識の経営者が多かった。また女性問題や、トラップなどに嵌まり暴力団や総会屋からの脅迫で、「ズブズブ」になっていた経営者も多く、そのため会社の総務部は汚れ仕事をさせられて疲弊する者も多くいた。証券会社や銀行の利益供与が明るみになるのはバブル崩壊後であり、本作品はその先鞭をつけたものとしての価値もある。

   *神谷正太郎(日本自動車殿堂HPより)

 

 製造部門のトヨタ自工はカイゼン活動やジャストインタイムの導入など、コストダウンの権化として社内を改革したが、販売部門の自販は交際費などもかなり緩く、対立構造もあったらしい。聖域である「販売の神様」が1980年に亡くなった後、1982年に「工販合併」して、現在のトヨタ自動車となる。「販売の神様」は家電メーカーでも、新聞業界でも存在したが、その功績が大きいほど、社内では「聖域」となり、「呪縛」となる。トヨタは「工販合併」により、世界有数の企業に成長する。