小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

13 燃え盡きる 清水 一行 (1972)

    徳間書店

【あらすじ】

 牧田與一郎は持って生まれた暴れん坊の性格。そんな牧田が三菱重工業の社長に就任して2年半、硬直的で公家集団のようなおとなしい企業体質を、柔軟で野武士的な組織に変えて、日本経済の推進力となるべく尽力していた。

 しかし持病の糖尿病と腰痛に悩まされ、株式総会を一週間後に控えて倒れ、緊急入院する。癌の疑念を抱えながらも、更なる戦略である中国市場参入に残る命を懸けて邁進するが、社長在職のまま1971年、志半ばで壮絶な最後を遂げる。

 

【感想】

 当時の日本を象徴する会社、三菱重工業。日本経済の中心をになう三菱グループの中心であり、戦前から続く基幹産業としても日本を牽引した。そのため「死の商人」の代表とみられる場合もあり、本作品でも、当時のベトナム戦争に反対する「べ平連」(ベトナムに平和を!市民連合)によるデモの標的として描かれていて、牧田が亡くなった3年後の1974年、三菱重工爆破事件が発生する。

 お行儀がいいとされた三菱グループの中で型破りな企業生活を送った牧田與一郎。1925年東大卒業後三菱「商事」に入社するも、上司と喧嘩を繰り返し、海外への左遷が続く。そして海外から帰国した歓迎会の席上で幹事と口論になり、相手を二階から投げ落とした(!)逸話もあり、余り友達にはしたくない性格(笑)。

 1938年に「商事」では肩身が狭くなったためか「重工業」に移籍してから頭角を現し順調に出世していく。そして三菱グループ全体の意思決定機関である「金曜会」で、色々な意見が出るものの、現状打破も期待して1969年に社長に就任する。

   三菱重工ビル爆破事件(毎日新聞

 

 本作品は、牧田が社長在任中に熱い情熱で、従来の殿様商売的なやり方を、社内で「改革」する姿を描く。そのやり方は強引な場合も多々あり、「牧田天皇」や「横紙破り」などと揶揄される。それでも牧田はめげることなく前進し、1970年には米国クライスラー社との提携によって自動車部門を強化独立させ、三菱自動車工業を設立する。また病に倒れてもなお社長の役職にとどまり、第一次、第二次と続くニクソンショックにも対応、自ら激務を課して現職のまま、まさに「燃え盡きる」

 また本作品では、自分の四男が大学で過激派活動にかかわる様子も描かれている。子供を独立した人格と扱う反面、活動の本質を知ろうと関係文献を読み、自分の四男が爆破事件を起こしたことで、社長を辞任しようかと真剣に悩む。直接の会話が乏しいのは牧田の性格から見て疑問だが、これも当時の企業人の在り方かもしれない。家のことは妻(三菱財閥の総帥、岩崎小弥太の庶子)にまかせて自分は仕事に邁進する昭和の男の姿。そして自分が抱える「蛮性」を通して息子を理解しようとしていた。

 現在では、牧田の「暴れ方」や病気、そして家族の問題など、どれをとっても途中で出世街道から排除され、また社長の座から蹴落とされているだろう。但し敵も多いが味方になるとこれほど頼りになる人物はいない。まるで戦国時代の侍大将のように周囲も巻き込んで暴れ、そして問題を解決する

 これからは本作品の後日談となる。日本企業の中国進出は本格化するが、中国独自の風土風習により、挫折する企業も数多かった。また独立した三菱自動車は、クライスラー社との提携が足かせとなり、その後世界有数のメーカーとなっていく日本企業の後塵から抜け出すことができず、ハラストメントやリコール隠し、燃費試験の不正など、いくつかの不祥事に見舞われてしまい、現在に至る。

 そして「親譲りの無鉄砲で、子供の時から損ばかりしている」牧田の四男吉明は、過激派として活動を続け「爆弾屋」の異名を持つまでになったが、その後転向する。いくつかの商売を行うが失敗、また父と同じ糖尿病にも悩まされ、生活は困窮する。

 三菱財閥総帥の孫は、晩年は生活保護を受けて暮らし、2010年、63歳で波乱万丈の生涯の幕を閉じた。

   *牧田吉明(You Tubeより)