小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

11 小説兜町(しま) 清水 一行 (1966)

【あらすじ】

 戦前、興業証券に入社したが兵隊に取られて退社し、戦後、魚のブローカーをしていた山鹿悌司に、興業証券創業者の大戸から誘いがかかる。最初は復帰を渋っていた山鹿だが、最後には承諾して復帰する。元のキャリアもあり、創業者のお声かかりで誘われたにも関わらず、1からやり直しを求められた山鹿の心は腐り始めるが、徐々に株の運用を任されるようになると、山鹿は「水を得た魚」のように活躍した。

 神武景気(1954~1957)や岩戸景気(1958~1961)の中、独自の発想と感で大成功を収め、空前の株ブームを呼び、山鹿の名は全国に知れ渡った。山鹿は「相場師」としての血が騒ぎ、さらに大きな勝負に突き進んでいく。しかし時代は、「相場師」ではなく、組織力と調査力が相場を動かす時代に移ろうとしていた。

 

【感想】

 清水一行の鮮烈なデビュー作。そして主人公の山鹿が何とも強烈なインパクトを与えてくれる。発刊の前年はオリンピック後の不況で証券不況となり、業界第2位の山一証券が経営不振にあえぎ、「日銀特融」で救われていた時代。不信の目で見られた証券業界に打ち込む強烈なカンフル剤となった。

 山鹿悌司は「相場に憑かれた男」として描かれている。魚のブローカー時代には不漁を見越して魚を貨車1両分買い取るも、実際は豊漁となり、何十両も並ぶ貨車の中に、自分の車両の見分けがつかない位となってしまい大損したエピソードは、相場に憑かれた男を象徴して、何とも印象深い。

 終戦後の日本は、財閥が解体され世相が混乱した中で、戦争中は自分の思い通りにできなかった経営者や技術者たちが、「雨後のタケノコ」のように創業した。最近までの中国市場のように玉石混合で、その中でどこが成長するかを判断するのはまさに「相場」。そんな中で理研光学や本田技研工業を発掘して「相場」を演出する。その見事な演出は、山鹿をスターに押し上げ、「山鹿機関」として世間の注目を浴びることになる。

   *1960年頃の東京証券取引所ウィキペディア

 

 但し宮仕えに向かない山鹿は、自分勝手に相場を仕切るようになり、そんな山鹿を周囲は苦々しく見ることになる。そんな山鹿を危惧した創業者の大戸は「雑巾がけ」から始めさせたのだが、山鹿は大戸の思惑を超えて動き始める。

 相場が当たれば文句は言えないが、一旦苦境に陥ると、手を差し伸べる人はいなくなる。皮肉なことに、証券市場は山鹿の活躍もあり大きくなって、個人の相場観で証券会社の運営を頼みにする時代は終焉を迎えようとしていた

 そんな中で「スター」山鹿は、岩戸景気の終焉とともに凋落し、転落していく。相場の失敗で興業証券を追われ、個人の力であがくも再起はできず、証券業界から消え去ってしまう。そして証券業界は、1965年に設立した野村総合研究所に見られるように、戦略と戦術が結びついた組織的な企業経営が求められる時代に変わる。そして証券業界は野村證券ガリバーとする「1強3弱」体制が、バブルの崩壊まで続いていく。

 山鹿悌司のモデルは、日興証券営業部長の斎藤博司。山一證券に隠れていたが、当時日興証券も経営不振が深刻になっていた。本作品で見られる通り、山一証券と同様に個人の相場観に頼った営業をしていたため、相場に「失敗」した不良株を抱えたまま処分しきれず、資金繰りに窮していた。危機感は山一證券よりもあったために先に経営合理化を進めて証券不況は何とか凌ぎ、日銀特融を受けた山一證券と共に業績は「一時的に」回復する。

 株式市場という「生き馬の目を抜く」戦場。そこに魅せられた「金の亡者」が集まり、一握りが成功し、大半が失敗する。機関投資家の利益が優先され、個人投資家が成功を収めることが難しい時代に変わり、そして証券会社もスターは消え、調査力と組織力で利益を勝ち取る時代に変わる。そんな「戦場」を知り尽くした清水一行が、「時代遅れ」となり消え去った一人の相場師を、哀惜を込めて描いた

 

   *現在の東京証券取引所ウィキペディア