小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

6 男たちの経営 城山 三郎 (1974)

【あらすじ】

 当時玉石混合だった石鹸業界に、「高級新石鹸」としてアイディアを駆使して挑戦した花王石鹸の創立と発展の歴史。創業者は、明治の日本における新しい人間像のモデルとして、島崎藤村の未完の大作「東方の門」にも登場した花王石鹸創業者の長瀬富郎。

 一企業の存在が単なる「職場」ではなく、そこで働いたことのある人たちの「心の故郷」たり得るかを問いかけた物語。

 

【感想】

 石鹸の歴史は、元は蘭学医が医療用に製造していた秘伝の1つで、明治維新後は蘭学に知恵のある士族が商売として扱うが、民衆にも石鹸が広まるにつれて徐々に職人による工場生産が始まり、無数の零細興業が乱立することになる。

 そんな中創業者の長瀬富郎は、研究、製造、そしてデザインや商品コピーなどの広告と、各分野の専門家を集めて知恵を出し合い、他と選別した高級石鹸を作り上げて、他とは一風変わった企業風土を作り上げている。

 長瀬富郎は22歳の時に岐阜から東京に出ると、資本を貯めるために米相場に手を出し無一文になるスタートを切るが、そこから改心して地道に働き、石鹸の製造に携わることになる。この成功が後の「花王」に成長する礎となった。その後も創意工夫を怠らず、また社員たちにも暖かい愛情をもって接して、当時「搾取」のイメージが強かった会社の風土にも影響を及ぼした。

 そして結核により死期を悟ると、その企業風土の維持を念頭に、その後の経営を後進に訴える。長瀬富郎が残した言葉「人ハ幸運ナラザレバ、非常ノ立身ハ至難ト知ルベシ 運ハ即チ天祐ナリ 天祐ハ常ニ道ヲ正シテ待ツベシ」は、米相場で失敗した過去を反省し、真面目に消費者を考えた商品作りを行うことで始めて「天佑」に恵まれるとしている。

    *長瀬富郎(初代)と初期の花王石鹸(ダイヤモンド)

 

 この人物を取り上げても1冊の本ができあがるが、「男たちの経営」の物語は、実質ここからがスタートになる。偉大な創業者が亡くなった後、残された者たちはどのように会社を引き継いで経営してきたか。

 社長になる二代目長瀬富郎は、創業者の死亡時は7歳。そして経営には興味を示さずキリスト教に傾倒する。その間創業者の弟たちは「全て先代通り」としてきたが、次第に競合他社につけ込まれるようになり、そして二代目は真理の探求に限界を感じ、自分が求められている場所に戻る決意をする。

 二代目富郎は23歳で社長就任。その後理想に燃える二代目は、若手を巻き込んで社内改革を行い、理想主義の精神を携え第二の創業を成し遂げる。但しそんな二代目は、戦争色が濃くなる中「転向」し、社員を白装束で禊をさせるまで変貌する。その中で、自由な企業風土で育った若手技術者たちを中心に、今度は旧体質の壁となった二代目富郎を相手にして、第三の改革を起こす

 そんな一企業を長いスパンで見据えた小説を著した城山三郎は、波瀾万丈な企業の盛衰を、あえて小説上の起伏を与えず、淡々と静かに描写している。実名で描くことに「最初はかなり心理的な抵抗があった」理由もあるだろうが、花王という企業の中に創業者が植え付けた「天祐ハ常ニ道ヲ正シテ待ツベシ」という精神を持った「男たち」が、改革や世代交代も理性的に、最後まで社員を大切に、会社第一に「経営」を行ってきたからと感じられた。

 城山三郎のエッセイ「静かに健やかに遠くまで」のタイトルは、イタリアの経済学者がモットーにしていた以下の言葉を由来として、城山三郎が愛した言葉。それは本作品のモデル、花王の経営者たちにも重なって見える。

 「静かに行く者は 健やかに行く 健やかに行く者は 遠くまで行く」