小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

5 役員室午後三時 城山 三郎(1971)

【あらすじ】

 80年の歴史を持つ日本最大の紡績会社「華王紡」に君臨する社長藤堂。会社へのひたむきな情熱によって華王紡の王国を再建し、絶対の権力を誇った彼が、若い腹心の実力者にその地位を奪われることになる。

 帝王学的な経営思想をもつワンマン社長に対し、社長に忠誠を誓い、腹心として異例の出世を成し遂げながらも、会社を「運命共同体」とみなし、新しいタイプの経営者として徐々に対立していく。

 

【感想】

 戦前は日本の基幹産業で外貨獲得の一番だった紡績産業。その中でも鐘紡は、戦前は日本一の売り上げを誇った企業。「あゝ野麦峠」のように、カイコの繭から絹糸を生産した「女工哀史」の物語。良質で真面目な女性の働き手を求めるのは戦前も戦後も同じ。

 戦前は鐘紡の実質的な「創業者」で政財界の大立者だった武藤山治が家族主義を標榜し、墨田川のほとりの鐘ヶ淵に大規模な工場と行員用の寮を建て、社員にも眼をかける姿勢を見せた。戦後は女性行員のリフレッシュと「社威高揚」から、経費が余りかからないバレーボールに力を入れ、やがて紡績会社に所属するバレー部が中心となって、東京オリンピックで「東洋の魔女」として活躍することになる。

 「役員室午後三時」というタイトルは、舞台となる「華王紡」の役員会が午後3時に始まることと、当時言われていた「紡績事業は(斜陽になりつつある)午後3時の事業」という意味、そして主人公の藤堂社長の「威光」に陰りが見えた時期を重ねた、非常に象徴的なタイトル。

 実際の鐘紡は、「中興の祖」で鐘紡を日本一の企業に押し上げた武藤山治の次男、武藤絲治(この名前も、紡績会社としては「あからさま」)が君臨していた時代。そして若手No.1だった伊藤淳二。まず専制君主に使えるために滅私奉公に努める。

 「サラリーマンの勝負時は、上役から質問された時、いつでも明確な答えが出せるよう常日頃勉強しておくこと」という伊藤を模した主人公矢吹の心構えは、会社員はもとより、木下藤吉郎のふるまいや北条早雲の家法「廿一箇条」に通じるものがある

    *伊藤淳二

 

 「藤堂」社長は長期独裁政権を続けて、あくまで自分の権力に固執する。対して腹心の矢吹は、紡績会社の現状と将来性、そして戦後の近代的経営の立場から、会社を新しく生まれ変わらなければならないと考える。

 「帝王」にはできない、組合懐柔やリストラ、多角経営に取り組み、実績を積み上げていく「戦後派」の矢吹。そして「役員会は今後開催しない」と「老害」が目立つ藤堂社長に対して、遂に反旗を翻し、「役員会の決議」で解任を宣告する矢吹。2人の関係の変化によって、時代の変化を鮮やかに描いた。

 「午後3時」の紡績産業は、その後東南アジアなどの進出で凋落の勢いが増す。そんな中、ニクソン大統領と佐藤首相の間で繰り広げられた日米繊維交渉で、アメリカの輸入制限を受け入れることになる。当時の沖縄返還交渉と合せて「縄を買って糸を売った」と言われたが、その後様々な産業で繰り広げられることになった、日米貿易摩擦交渉の先駆けとなった。そしてすぐに、日本はかつてのアメリカの立場に代わることになる。

 鐘紡は伊藤新社長の活躍で、化粧品を初めとする経営多角化に成功したが、バブル崩壊後低迷する。後継の経営者たちは目標必達主義を掲げ社員に強力なノルマを課したが、そのため粉飾決算を繰り返すことになり、城山三郎が死去した2007年、会社解散に至る

 対して鐘紡「中興の祖」と崇められた伊藤淳二はその経営手腕を買われ、日航ジャンボ機墜落直後の混乱した会社を立て直すため、日本航空の会長に抜擢される。しかし労使間の対立が激しい中で手腕を発揮することができず、1年で会長職を更迭されてしまう。

 業界も、会社も、そして経営者も、因果は巡る。同じような軌跡を描いて生まれ、栄え、そして去って行く

 

*伊藤淳二はこちらの傑作でも、重要人物として登場します。