小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

1 男子の本懐 城山 三郎 (1980)

【あらすじ】

 緊縮財政と行政整理を必要とする「金解禁」。日本史上最も鮮明な経済政策を、第一次大戦後の慢性的な不況を脱するために多くの困難と攻撃に耐え、昭和5年(1930年)1月に断行した浜口雄幸井上準之助。性格も境遇も正反対の2人の男が、1つの政策に命を賭け、男子の本懐とは何かを問いかける。

 

【感想】

 金解禁。かなり端折って説明すると、以前各国は金本位制により兌換紙幣を流通させていたが、第一次大戦で金の流出が起きたため、各国は金流出を一時許可制(実質上の禁止)としたが、大戦後は金本位制)に戻した(=金輸出の解禁)。

 利点は金本位による国際通貨及び貿易の安定に寄与することだが、欠点は金の保有高によりマネーサプライが制限され、緊縮財政そして不況を余儀なくされること。当時主要国で金本位制に復していないのは日本だけになり、各国から批判を浴びていた。但しそれまで、大戦後の大陸進出や、関東大震災後の復興のための予算出動が相次ぎ、簡単に緊縮財政に踏み切れない事情があった(現代と似ている)。

 浜口雄幸高知県出身の寡黙な努力家だが、筋を通し、おもねることを潔しとしない。理不尽なことには時に、心に抱え込んだ「無量の蛮性」が爆発するためか、東大(帝国大学)を優秀な成績で卒業し大蔵省に入省するも、処世術に長けないため傍流で地方回りが主だった。但し周囲は浜口の働きぶりを見て信用を深め、地味な塩田整理で成果を上げて大蔵事務次官に登り詰め、その後民政党に入党。その誠実な働きぶりから党首に担ぎ出され、そして選挙に勝ち、総理の印綬を帯びる。

     浜口雄幸ウィキペディアより)

 井上準之助大分県出身で、東大から日本銀行に入行。浜口とは逆に饒舌で派手な行動を取り、皆に注目されて日銀では陽の当たる出世街道を歩むが、途中で叩かれ左遷を余儀なくされる。但しそこで腐らず勉強を重ねて自分を磨き、成長を遂げて日本銀行総裁に登り詰めた。その後請われて大蔵大臣に就任するが、就任日が関東大震災と重なる中、就任の挨拶でモラトリアム(支払猶予令)を断行。震災後の混乱を辣腕で乗り切り、「尋常一様ではない財政家」として、日本及び世界から認められる。

 そんな経歴の2人が、キャリアを極める途中で巡り合う。共にその手腕と、悲哀を経験した人間性で引かれ合い、昭和初期、軍部が台頭してきた時代に内閣の首班と大蔵大臣として、金解禁を断行することを「誓約」する。軍縮問題も絡む協調外交も平行して行なったため、国民は不況にあえぎ、軍部は軍縮に反対して国民の不安を煽り、右翼はその先棒を担ぐなど反対勢力が台頭してくる。そして野党、犬養毅を党首とする政友会は、現状と金解禁の延期と、統帥権干犯による軍縮阻止を主張する側に回り、全面対決の姿勢を見せる。

 誠実に金解禁と緊縮財政の必要性を説く浜口。但し世界恐慌暗黒の木曜日)も同時期に起き、不況は深刻化する。国民の不満は徐々に膨らみ、浜口は東京駅で兇弾に倒れ、翌年死亡する。浜口の後を継いだ井上も、同じく暗殺され、民主化の「砦」は決壊、日本は軍国主義への歩みを一段と進めることになる

 

     井上準之助ウィキペディアより)

 政治は結果が全てであり、軍部の台頭を一時的に抑えたが、国民を不況のどん底に導き、金解禁の時期ややり方(銀本位制にすることなど)についての批判は残る。また「政争」として対立した政友会の犬養も5.15事件で命を落とす。そして井上と財政で激論を交わした日銀総裁の先輩、高橋是清は政権奪取後金輸出再禁止とし、積極財政に舵を切った。しかし陸軍の予算要求に、高齢を押して身体を張って阻止したため、2.26事件でやはり命を落とし、日本は民主化の「砦」を完全に失ってしまう。

 但し浜口と井上の2人が歩んだ生涯と、「金解禁」という政策に立ち向かう2人の「誓約」は、作者の筆力もあり何物にも抗しがたい重みがある。浜口が亡くなった知らせを聞いて、「スタイリスト」井上が人目を憚らすに号泣する姿は感動を禁じ得ない。そして志半ばで亡くなった後、2人が眠る何も手を加えない「良く似た」お墓が並ぶ姿を描く最後は、2人の生き様を象徴する屈指のラストシーンで万感の余韻を感じさせる。NHKのドラマではそのお墓が映され、涙を誘った。傑作の一言

 

*本記事を予約投稿した日が7月7日。その翌日安倍元首相が銃撃されたニュースが飛び込みました。政治家が暗殺されるイメージは戦前まででしたが、このようなことが21世紀に繰り返されたことにも驚きました。今度こそ、繰り返されないように願います。