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【あらすじ】
先の太平洋戦争では敗れたが、大日本帝国及び華族制度や軍隊は存続している1990年代の日本。そして舞台は城下町姫山にある、元藩校で地域一番校である名門頸草館高校。吹奏楽部で全国コンクール優勝を目指し、日々厳しい練習に励むホルン担当の古野まほろを初めとする部員の面々。
そんな中子爵令嬢でトランペット担当の修野まりから、学校に古くから伝わる数列の暗号について解読を託された生徒会長の奥平が、斬首死体となって発見される。報復と事件の解明を誓うまほろ達吹奏楽部の前で、更なる事件が発生し、様々な推理が交錯する。果たして真相は何処か。
【感想】
伝説の編集者、故宇山日出臣が最後に世に送り出した問題作。そのキャッチコピーは「知の饗宴」。
日本ミステリー界の「黒い水脈」四大奇書の後継者を自認する作者だが、その世界観と作風は、先達である清涼院流水から更にメタモルフォーゼを遂げた印象を持つ。
吹奏楽部に所属する「上級国民」でいずれも美男美女、そして頭脳も明晰な「ハイスペック」な高校生たち。彼ら、そして彼女らが繰り広げる多重推理の「饗宴」は、ほとんどJDC(日本探偵倶楽部)のA探偵並。こんな部員たちが、吹奏楽部の「部活動」は地味に熱心に取り組んでいるのだから、ちょっと可笑しい。吹奏楽に対しては「思い入れ」の熱量が半端なく茶化せない描き方で、青春ドラマの風も匂わせている。
続いては衒学(ペダントリー)が横溢した作風が特徴。「黒死館殺人事件」のような、作品を過剰に装飾する知識の数々。国内・海外の文学作品や歌劇、絵画といった、古典や芸術作品はもとより、サブカルチャーまで知識は及ぶ。そのため読み手もその「どれか」には引っかかり、「黒死館殺人事件」のような、人を全く寄せ付けない(?)作品からは回避している。しかも登場人物は、ちょっとえへへな「エロコアラ」、主人公の「まほ」を囲む女子高生の美女軍団。一見サブカルで「うげらぽん」な人たち。
その中で私のツボに「タタタタタ」とスタッカートのようにハマった、当て字やルビの「行進」。熟語と英・仏・独・露語などの組み合わせや、1つの語句に対しての簡潔で的確な比喩の表現。村上春樹を語る上でよく評される「異なった2つのイメージ間の距離」を、ギリギリ読み手に届く位置に置く比喩表現は素晴らしい。清涼院流水とはまた違った「言葉」へのこだわりが恐ろしく強い。
清涼院流水と古野まほろ(作者)との違い。清涼院流水は言葉についてのこだわりに「執念」を感じる。対して古野まほろの言葉は、研ぎ澄まされた「感覚」から発せられる。それは紙面上にキラキラと輝き、視覚だけではない「知覚」で読者に訴える。比喩の「飛距離」が飛び越えるのを怖れずに言うと、弘法大師(空海)が書く象形を意識した「益田池碑名」のような、究極の表現技法に通じている。
*文字を使った究極の表現方法の1つ、空海の「益田池碑名」(ウィキペディアより)。
そんなこんなで(?)、主人公の愛されキャラ「まほ」を中心に長大な物語が進んでいく。「名だたる」名探偵による多重推理を推し進め、至る処に仕込んだ伏線を全て回収した後に、その全てを「ぶん投げる」解決へとなだれ込む。これはもう好き嫌いの世界。この作風を全く受け付けない人もいるだろうが、ハマったらとことんハマるだけの「黒い水脈」が作品の底に流れている。
「ルビ」は作品を追うにつれて次第に収まりを見せるが(残念!)、旺盛な創作活動で多くの作品が独特の世界観を保ちながら発表されているため、1つ1つの作品の紹介は不要(=できないww)。「ハマった」人は紹介抜きでも、自ら本に吸い込まれる「禁断の魔力」を帯び、その論理構成と世界観は、この作品群でしか味わえない。
*そして何故か連想してしまう、もう1つの「黒い水流」を汲む作品。