小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

9 大誘拐 天藤 真 (1978)

【あらすじ】

 スリ師の戸並健次は刑期を終えて社会復帰を考えている。そのためには元手が必要で、刑務所仲間の秋葉正義と三宅壮太と計らって誘拐を企む。ターゲットは紀州の大地主・柳川とし子刀自(とじ:年配女性への敬称)、身代金は5千万円。

 山中に身を潜め、苦労の末に健次らは刀自との接触に成功する。おつきの女性を逃がす条件で、刀自は誘拐に協力的な態度を示す。犯人たちの杜撰な誘拐計画を指摘し修正を加え、隠れ家も提供してもらう誘拐犯たち。ところが身代金の額を聞いて刀自の態度が一変する。「私はそんな安い人間ではない」と。まさかの人質からの値上げ交渉、その額は何と100億円! 誘拐犯は人質に振り回されることになる。

 

【感想】

 紀州の大金持ちと言えば、最近では別の人(故人)を思い出すが、こちらの大金持ちは度胸満点だがチャーミングな82才のおばあちゃん。当初本作品の紹介文を見ると「滑稽無稽」で、私の好みと外れていると思い初読が遅かった。そのため読んでビックリ。壮大なスケールと軽妙なユーモア、そして見事な犯行と最後に明かされる真の動機まで、緊密に考え抜かれた傑作だった。

 主人公の刀自は慈善事業に精を出し、皆に分け隔てなく付き合うため、大金持ちだからという理由でなく人望があり、周囲からの信頼は厚い。それも様々な伏線になっていて、刀自を信奉する人は身内だけでなく警察側、そして思いがけない所にも潜んでいる。

 対する誘拐犯の3人はスリの戸並健次、窃盗犯の秋葉正義と三宅壮太。3人とも重犯だが凶悪犯ではない「小心者」。このどこか人の好い3人が、初めは誘拐犯として刀自に対峙するのに、次第に振り回されていく。刀自の頭の回転と度胸にもよるが、日本有数の大金持ちと「お金を数えるのはラーメン単位」という誘拐犯たちのギャップが楽しい。

*1991年に上映された映画で、主演「日本一のおばあちゃん女優」北林谷栄日本アカデミー賞主演女優賞を受賞しました。

 

 刀自が仕切り出して事件が活発に動き出す。警察側にも刀自の信奉者がいるが、その思考を逆手に取るアイディアが秀逸。誘拐は身代金を受け取るときや受け取り後の逃走など様々なリスクがあるが、その点も見事にクリアーしている。刀自が次々と誘拐犯に繰り出す指示。隠れ家の設定、テレビによる家族の対面と身代金受け渡し方法の伝授、そして受け渡し方法と「本作品に限った」アイディアを最大限に発揮して、見事に犯行を成功させている。想定外の事態が発生して慌てふためく誘拐犯たちを尻目に、悠然と打開策に頭を巡らす刀自の姿は、当初の設定を忘れて頼もしく感じるほど。

 そして明かされる事件のあらまし。犯人側3人はそれぞれの理由から、大金を目の前にして「降りる」。特に主犯格の戸並健次と刀自に関するエピソードは見事の一言。軽妙なストーリーにちょっとした人情話を加えて、物語に厚みを加え、そして鮮やかな印象を残してくれる。

 最後に明かされる事件の動機で事件の構造を「ひっくり返す」。これは慈善事業に精を出す刀自とは別の顔を見せる(根は同じかもしれないが)。但し例えば「太陽黒点」のように、戦争を経験した人でなければ感じられない思いであり、その思いと、当初は滑稽無稽に思えた100億円を見事に繋げて物語を締めくくる。

 「おもしろうてやがて悲しき鵜舟哉」(芭蕉

 警察側の井狩本部長による述懐がいい。苦学生の頃、刀自から支援を受けた恩を忘れられない人物が、たどり着いた事件の真相を刀自に語る言葉。「この犯罪はプロの仕業でもちんぴらグループのものでもない。もっとゆとりのある大らかな人間性を感じさせるんですな」。

 事件の真相をえぐったこの言葉、そっくりそのまま本作品の作者にもあてはまりそう。