小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮れ

今週のお題「秋の歌」

 

 秋の歌というと、皆さん既に取り上げられている通り、私世代では松田聖子の「風立ちぬ」が思い浮かびますが、更にさかのぼると、岩崎宏美の「思秋期」に行き当たります。メロディと歌唱力もさることながら、阿久悠さんが醸し出す詩の世界は、子供心に当時の「歌謡曲」から逸脱した完成度を受けました。


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*様々な歌手がトリビュートしていますが、本家岩崎宏美さんの歌われた当時に近い画像をアップしました。

 

 生命力みなぎる夏から、春の季節を待ちじっと耐える冬の架け橋となる秋。寂寥感に包まれて1日の終わりを感じ、それが人との別れを連想させます。また「青春」から「朱夏」へと通り過ぎて、人が成長し成熟したことを表わす「白秋」の季節を、阿久悠さんは様々な風景から切り取って曲にちりばめて、1つの作品にまとめ上げています。

無邪気な春の語らいや はなやぐ夏のいたずらや 笑いころげたあれこれ 思う秋の日

 

 清少納言はそんな秋を象徴する風景を「夕暮れ」にしました。春を桜とせずに「あけぼの」としたセンスは、秋を紅葉ではなく「夕暮れ」として景色を切り取っています。山の影が映る夕焼けを背景に、カラスが鳴きながら寝床に帰り、雁の群れが遠ざかっていく姿。こちらも1日の終わりを象徴して、寂寥感に包まれる映像が頭に浮かびます。

 

 そうなると、「秋の夕暮れ」を詠んだ有名な歌に想いは飛びます。「歌聖」藤原定家の表題の歌です。

 藤原定家鎌倉時代の政治家ですが、短歌で傑出した才能を発揮し、自身の詠んだ歌だけでなく、芸術論の本も著し、また「新古今和歌集」や「新勅撰和歌集」などの歌集を編集しています。政治家でありながら譲ることを知らない性格を持ち、時の権力者、後鳥羽上皇から逆鱗に触れて一時は遠ざけられます。このため「美の鬼」とも呼ばれます。

 また和歌集だけでなく、小倉百人一首も選出しています。現在は「ちはやぶる」で有名ですが、その選出された歌は「歌聖」の感覚から外れている印象も受けます。その理由として、織田正吉著「絢爛たる暗号」、高木崇史「QED 百人一首の呪」、太田明著「百人一首の魔法陣」など様々な興味深い説が論じられます。

 

  見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋(とまや)の秋の夕暮れ

 

 あらためて見ると、花(桜)や紅葉など、万葉や古今和歌集で歌われた素材を読み手にイメージさせつつ、すぐにそれを「なかりけり」と否定します。イメージが頭に残っているうちに、全く対照的な「浦の苫屋(海沿いの粗末な家)」と「秋の夕暮れ」を重ねて、寂寥感を強調させています。

 これは今まで歌の主題とされた、恋歌や自然の美を表す歌と一線を画し、後の「わび」や「さび」の感覚に行き着く端緒になったとされています。新古今和歌集では、他にも夕暮れを詠んだ短歌があり「三夕の歌」と呼ばれていますが、その中でも傑出した完成度と知名度を誇っています(まあ、解説するのも野暮ですが)。

 童謡の「紅葉」や「まっかな秋」なども、秋の夕暮れを歌っています。日本人の心には、1000年以上前から、「秋の夕暮れ」が刷り込まれているのでしょうね。

 

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