小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

6 杉の柩 (ポアロ:1940)

【あらすじ】

 エリノアが作ったサンドウイッチを食べたメアリイがモルヒネ中毒で死亡する。

 裕福な叔母ローラが死に遺産を相続してから、エリノアの運命は全てが暗転していく。彼女の婚約者で幼馴染のロディー。叔母ローラのお気に入りの美しい娘メアリイ。叔母の死後、ロディーはメアリイと恋に落ち、婚約者のエリノアに別れを告げる。メアリイのためにロディーが心変わりし婚約を破棄した点が強力な動機と判断され、エリノアは起訴され、法廷に立つ。

 殺意はあったかもしれない。でもメアリイを殺していないと主張するエリノア。ところがその証言は信用されない。あらゆる状況が彼女に不利な中、ポアロが真相究明に動き出す。

 

 【感想】

 男性1人に女性2人の三角関係。そして遺産を巡る話と、「色」と「金」を交えたクリスティー得意の舞台設定。事件が起きるまでの第一部でポアロは登場せず、人間関係の整理と変化に長めのページ数を割いている。そのレシピは「ナイルに死す」と似ている。

 但し出てきた「料理」はまるで違う。登場人物それぞれの造形と動機の組み合わせ方を変えることで、全く違う作品に仕上がっている。

 第1部ではエリノアの視点から見える情景から、エリノア自身が運命の暗転に嵌まっていく様子を描いている。気を遣い、引っ込み思案の性格を持つエノリアの視点で登場人物を描いているため、エノリアと絡む人物たちの思いが行き違っていくようになり、そしてそれが重なり、広がっていく。そのためエリノアは、自分をどんどんと追い込んでいく。その性格のために相手に対する嫉妬や憎悪のような「ドロッとしたもの」を表に出すことができず、自身の心にどんどんと溜めこんでしまう。

 読者は、やがてその思いがいつか爆発するような、言い換えれば「エノリアが殺人を犯しても不思議でないような」推測に捕らわれる。この点はクリスティーの別名義であるメアリ・ウェストマコットの作品を思わせる、女性特有の心理を読み切った見事な冴え。

 そして予定通り殺人事件が起きる。動機もあり、殺人を犯す手段もあったエノリアは逮捕され、法廷に立つ。そして引っ込み思案だった性格は、法廷で追い込まれることによって自分の気持ちが固まり、1本筋の通った女性に成長しているように見える。但し待っているのは死刑判決。最初からエリノアは容疑者として存在しており、事件の構図は固まっているかに見える。

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 第二部でポアロが(ようやく)登場して、関係人物を捜査、尋問して証言の「うそ」を見つけ出し、分かり易いと思われた事件の「景色」の裏に隠れている真相を見つける。第三部で冒頭の法廷シーンに戻り、裁判の展開で真相があぶり出されていく。

 真相の解明は、どちらかというと「死との約束」を思わせる。作者と読者との「戦い」で、作者クリスティーは戦力を一つの箇所に集中していると見せかけて、最後に予想しなかった所から「義経鵯越(ひよどりごえ)」で相手の陣形を崩す。クリスティーの巧妙な「孫子の兵法」にまたまたやられた。

 この作品は華やかなクリスティーの名作の中で、地味な展開と思える。だがエリノアという女性を主人公にあて、殺人事件を通してその心の葛藤と成長を見事に描き切った。そしてミステリーとしての完成度も高い。クリスティーでなければ書けない作品。