小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

19 第八の日 (1964)

今週のお題「575」

 ・・・・今更ですが、ブログのタイトルが「575」だと気づきました(笑)。

 

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【あらすじと感想】

 不思議な雰囲気に満ちている作品。そしてこの作品の意図について考えさせられ、悩む。

 この作品は1964年に刊行されたが、クイーンはこの作品を1944年の話として進めている。作品のクイーンは戦時中の戦意高揚映画のシナリオを量産し、そしてダウン。ハリウッドからニューヨークに帰ろうとしていたエラリーはネバタ州の砂漠の真ん中で道に迷い込み、クイーナンという外部から隔離されたコミュニティに足を踏み入れてしまう。

  そこには時の感覚すらも忘れた人々が、十二人の評議員とそれを率いる「教師」を呼ばれる指導者のもと、時給自足の生活を営んでいた。そのコミュニティでは嘘をついてはならず、人々はみな善良で、犯罪とは全く無縁の世界を送っていた。クイーナンの指導者である「教師」に、予言の人物であると思い込まれたエラリーは、そこでしばらく生活することになる。原始的で、しかし食物も豊富に存在し、犯罪もない社会をエラリーは次第に居心地が良くなり、クイーナムは楽園ではないかとさえ考える。

 しかし、「教師」しか入れないはずの「聖所」の鍵が盗まれたことから状況は怪しくなり、やがて雑品係の男がハンマーで頭を殴られ殺害される事件が起きる。

 なぜクイーナムという「楽園」で殺人事件が起こらなければならなかったのか。

 宗教色に彩られたクイーナムという不思議なコミュニティは、この作品に不思議な雰囲気を与え、それが不思議な話と絶妙な調和を見せている。数十年前、罪を犯した人間を、銅貨を持たせて放逐する話など、物語のあちこちに宗教的(旧約及び新約聖書的)な雰囲気を纏(まと)わせている。

 そして明かされる「ムク―の書」の正体。

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神の国」で謎を解いたエラリーは深く後悔する。涙を流し、そして日常の世界への帰還を決意する。打ちひしがれてコミュニティを出ていくエラリーの前に、コミュニティの新たな「教師」が現れる。神の啓示を受けたかのように大きな驚愕を覚えて、エラリーはそのすれ違う人物に「託す」。

「あの丘の向こうには新しい世界があります。(中略)そしてたぶん・・・たぶん・・・そこの村民はきみを待っているでしょう」(ハヤカワ文庫252ページ:青田勝訳)

 

 聖書の寓話(聖書の知識は私は乏しい)をちりばめながら進めたこの物語。改めて神に対する「探偵の限界」を描いたようにも見える。また「探偵のいらない世界」を表現したのかもしれない。

 エラリーが帰還した「日常」は、物語の舞台では第二次世界大戦の真っただ中。そして本作が発刊された時代はキューバ危機が起き、ベトナム戦争が起きてこれから泥沼化しようとし、東西冷戦が激化している緊張の時代。「楽園」は本当に存在するのかを問うた作品かもしれない。

 但し一筋縄ではいかない。宗教的な設定を笑い飛ばすかのような仕掛けもあり、作者の意図を断定することを憚(はばか)れる雰囲気も、この不思議な作品はまとっている。

 本作は、クイーン作品の一つの「寓話」として、読んだ人一人ひとりが考え、そしてそっと置いておくべきだろう。