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【あらすじ】
「十日間の不思議」で打ちのめされたエラリーは、「第二の故郷」と思っていたライツヴィルから、本当の故郷であるニューヨークに戻ってきた。但し心の傷は癒えず、現実の事件に手を出すのを止めていた。
同時期、証拠を残すこともなく動機も不明なまま、5人もの男女を絞殺する連続絞殺魔が暗躍していた。「猫」と呼ばれた連続絞殺魔の捜査に苦慮したニューヨーク市警本部長は、リチャード警視を責任者とする特別捜査班を編成した。エラリ―は、「猫」による事件の興味と、父リチャード警視からの叱咤激励より、6人目の犠牲者が出た時、捜査に加わることになる。
エラリ―は、無差別に殺害されていたかと思われた「猫」の被害者にいくつかの共通点(ミッシングリンク)があるのを見出す。だがそれだけでは「猫」と逮捕する手掛かりとならず、エラリーの推理も、また精神科医のエドワード・カザリスによる助言も、そして警察による捜査も暗礁に乗り上げていた。9人目の被害者でようやく犯人を突き止めるが、真相は更に一段深いところにあり、エラリ―はまた打ちのめされることになる。
【感想】
本作の特徴の一つは、舞台が大都会のニューヨークに戻ったところ。前作が「古き良きアメリカ」を体現するライツヴィルで、かつその町の性格がエラリーを傷つける要因の一つになった。今回は現実の大都市ニューヨークでの無差別と思える連続殺人事件で、人々がパニックになる様子を描いている。当時は世界大戦がようやく終わったが、冷戦が始まり、ベルリンが封鎖された、次への戦争の不安を潜在的に抱いていた時代。そんな中で市民が不正確な情報で右往左往する。現在にも、そして9.11の状況にも通じる、「もう一つのアメリカ」を描いている。
被害者は増えていく。パニックによる死者も発生している。それでも探偵エラリーは真相にたどり着けず、犯行を止めることができない。自分の力不足により被害者が増えていくと感じて、自分を更に追い込んでいく。
そして終盤に出て来るこの言葉。「君は前にも失敗した。今後もするだろう。それが人間の本質であり、役割だ」。
初期の国名シリーズでは考えられない言葉。「青春時代」を真っすぐに育ったエラリー(及び作者クイーン)は、前作の「十日間の不思議」と本作で、舞台を田舎と大都会に分け、ともに推理と人間の限界に正面から向き合う。その過程を、主人公が自ら体験することによって、自分を傷つけながらも、人間関係のドラマに深みを与えてくれる。
それでも探偵は探偵であることを止めない。人間は完全に真相を理解できない、「神の目」は持てないことを受け入れつつ、エラリーは探偵としての役割を受け入れ、徐々に再生していく。その再生の舞台が、エラリーの故郷であり、アメリカの象徴でもあるニューヨーク。
「ミッシングリンク」を題材とするもので、ミステリー界の代表作とも見なされる本作品は、同時に探偵の挫折を描く前作「十日間の不思議」から、探偵の再生を描いている。これはクイーン流の「最後の事件」と「空家の冒険」に思えてならない。
*はてなブログの「1面」に、冬木糸一さんのブログで最近上梓された「エラリー・クイーン創作の秘密」が紹介されていました(ブログのリンクは避けました)。ちょうど私が取り上げている前回の「十日間の不思議」と今回の「九尾の猫」を中心に、この作品を創作するクイーン2人の舞台裏での「闘い」が書かれていて、参考になります。掲載場所はすぐにわかると思いますので、是非ご覧になってください。