年齢が55歳を超えて、一番変わったのが睡眠時間。若い頃は完全な夜型で、0時を超えないと眠らなかった。また不眠症気味の時もあり、明け方まで眠れない日もしばしば。
その代わり、眠る時は10時間以上ひたすら眠ったもの。特に土日は「寝だめ」の日で、明るくなって朝が明けたと思ったら、実は夕焼けの風景で時間が午後4時! という日も独身時代はしばしば。せっかくの休日なのに、損をした気分になった日が何回あったことか(週末の休みはホントに短かった・・・・)。
ところが55歳を超えると、1日の疲れが溜まってなかなか抜けないせいか、早く布団に入りたくなる。その代わり、せいぜい5時間位で目が覚めてしまう。配偶者は「寝るのにも体力がいるからね~」と言うが全くその通り。長時間の睡眠ができなくなり、おかげで完全な朝型人間になってしまった。
そこで始めたのが朝の散歩。昨年秋から朝の通勤も歩くようになり、土日は広瀬川周辺を中心に散歩する。
歩いているときは頭をカラッポにしているが、次第に脳内に溜まっていた情報が湧き上がってくる。そして情報が思いもかけずに繋がって、時に突然アイディアが閃くことも。
そんな中、散歩を始めてしばらくすると、ちょうど散歩の時間と夜明けの時間がカブるようになった。漆黒の闇だった空が、少しずつ群青に変わり、そして赤紫色にと徐々に明るくなっていく。そんな光景を見ていると、昔の記憶が甦る。
まだ20代の頃に伊豆の達磨山から見た、徐々に朝日を浴びる富士山の光景。足下から雲海が湧き出ている様子も相まって、強烈な記憶として残っている。その風景も、今では伊豆市が設置したライブカメラのHPから自由に見ることができる。
(上の画像は、伊豆市のHPから引用しています)
そんな景色を見たくて、散歩の時間もだんだんと夜明けに合わせるようになり、時には4時前に家を出ることも。今年の冬は寒い日が続いたが、次第に空気が緩み、日の出が早くなるのを実感する。
こうして季節が移り変わるのを繰り返し、この年齢になってしまいました。
時間と天気に恵まれると、このような景色が見られます。
そうすると、この言葉が思い浮かびます。
朝陽が水平線から 光の矢を放ち (「瑠璃色の地球」作詞 松本隆)
広瀬川越しに見る「朝日三景」でした。
連休中にも関わらず、コロナ禍でステイホームの皆様、病院やホテルに居て外に出られない皆様、そして医療従事者を初めとする、連休中も働いている皆様に・・・・ 「夜明けの来ない夜はない」と信じて。